日本企業の国際化を考える、日本人も英語を話せたら国際人?

日本企業の国際化についての話を友人と議論していた時、ふと、国際化ってなに?ということが頭をよぎりました。
日本人も英語を話せたら国際人なのだろうか?ということを考えてみます。

ちなみに、日本人に限らず、例えば、あるドイツ人が日本に数年住んでいるとします。その人は、日本人からみれば、ドイツ人ってこういう人なんだ、というイメージになると思いますが、その人はもう普通のドイツ人ではない場合が多いです。外国にでて何年も暮らしたドイツ人と、一度も外国生活を送ったことのないドイツ人は、ある意味違うカテゴリーの人達です。それは外国に住んだり、外国語の環境にいることで、習慣や、文化、宗教の違いであったり、自分の価値観を根底から覆すような何かが起こるわけで、それなりにその人はそこでの生活がしやすいように、(そうはみえなくても)その環境に合わせている場合が多いからです。
まれに、当たり前のように、なんの問題もなく、新しい国の環境にすんなり住み着いている人がいますがその人は昔、そこの国の人だったに違いありません。(笑)

英語が話せるアメリカ人やイギリス人だってその国から出た事のない人は決して ”国際人” だとは、いえないですよね。日本人は英語が下手だといわれますが、アメリカ人だってどれくらいの人が外国語を上手に話すでしょうか。

そう考えてみると、本当は”国際人”というのは自国の言語以外でものを考えたり、コミュニーケションがとれ、その言語の文化的背景が理解できる人と、考えるのが、妥当な気がします。ただ、現状はどうしても世界的に経済活動の主流が英語なので、英語がその手段になっているというだけで。

日本人に限らず、いわゆる国際人と言える人達をみると、(例外はもちろんいますが)少なくとも以下の3つの点を兼ね備えてるように思います。(要注意なのは外国に長く住んでいれば、みんな国際人になれるかといえれば、そうともいえません。例えば10年以上その国に住んでも、その国の言葉を話せない人達もいますし、現地のコミュニティーに属さず、母国語のコミュニティーのみでいきていくのだって、都会ならば結構できてしまうわけで、それも又国際人といえるかは疑問です。)

• 柔軟性
その環境や状況を受け入れるという事。例えば、店が土曜の午後2時に全てしまって月曜まであかないとしても、それを無理矢理あけるわけにはいかなかったり、このアパートは10時以降は風呂の水を使ったり、シャワーを浴びてはいけない、という規約があればそれに従わないといけないという、ある種、郷に入っては郷に従えて的な柔軟性。それをストレスなくうけいれられるか。

• オープンさ
新しいことや、自分の知らない事、他人の意見に対して、偏見をもたず、興味をもって望めるか。

• 積極性
知らない環境では、何かが起こるのをまっていても、何もおこりません。自分から動けるか。
これは自己主張の強さ、とは別ものです。主張もするけど、まず話をきいてから。逆に、常に自分を主張している人は外国では生きにくいと思います。

そう考えてみると、ツールとしての英語を学ぶということでは、必ずしも企業が国際化ができるわけではないのかなあ、と思います。
ツールとして、語学を学んだ場合、文法は(文章は)合っていても、意味が通じないということがありえるわけで、おそらく、大手企業が英語を社内用語にまでするというのは、外国にでやすい環境を意図的に作る、という他の意味があるような気がします。

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