歴史や哲学のようにお金に直接結びつかない分野を勉強することは不要なの?

文科省の国立大学での人文系学部を減らす動きについては夏頃から新聞を騒がせていますね。文科省の言い分と、その解釈をめぐってはいろいろな話がありますが、結局、人口と大学数(学部数)のバランスと実際、国が描く将来の産業を担う人材の育成の観点から考えると一部の大学(特に私立)が専門学校化したり、学部を減らすというのは需給バランスを考えれば実際には起こるりえる現実的な話だと思います。

一方で歴史、哲学のようにビジネスには直接結びつかないような分野は本当に不要なんでしょうか。

アメリカではリベラルアーツ大学の価値は広く認められていると思いますが今回はドイツ語圏の例で、人文系の教養科目を全く学ばなかった場合を考えてみます。

例えば、15歳から職業訓練にはいる道を取った場合、中学までに学ぶ、基礎教育そして高校はそれぞれの職業に関する勉強、ビジネス、ファイナンス、技術的、工学的な基礎であったり、言語であったりで、いわゆる一般教養は学ばず、その道のプロになっていきます。そのままその後一生学校にいかない人も多くいます。

ここからはあくまでも私の経験にもとずく偏見ですが、多くの場合(全てとはいいません)職業訓練を選択し、その後全く”学校”にいかない、もしくはなんだかの勉強をしたり外の世界を見ない人と、自分はなかなか話しが続かない、というか共通の価値感を持つことが厳しいという感じがします。彼らは、仕事はちゃんとするし、経済力だってちゃんとあります。へたしたら、大卒のしかも博士号をもっている人よりも裕福の場合も結構あります。しかし、アジア人である自分とは話しがかみ合わないのです。中学校レベルまでの知識しかないとすると、歴史だってヨーロッパ史くらいしかしないでしょうし、極東も東南アジアも地理的にはなんとなくわかっても、文化的区別はつかなかったり、当然その歴史や宗教観なんてわかりません。この人はこういう国からきて、こういう背景があるからこういうことを言い出す、という裏の部分の理解が少ないので、深い話しもできませんし、視野が狭いので話しがかみ合わないのです。またそしてそういう人に限って”知りたい”、という好奇心もあまりなかったり”なぜ?”という問いに対して、多方面からのアプローチというのが苦手のように思います。

しかし、その道を選択した場合でも、その後、専門大学(学校)に入り、もう一度その分野の勉強(もしくは別の分野)を続けるという道もあります。そして、実際そこからMBAをしたり、マスターをとったりする道もあるのでそのレベルにまでいく人たちは結局、教養部分をどこかの時点でつけるということになります。そして、大抵の場合、彼らは外国にでていくのでその視野は自然に広がってきます。視野が広がるということは許容範囲も広くなり、相手の立場を理解しやすくなります。

一方大学進学への道を選ぶとすると、少なくとも18までに大学レベルの一般教養課程を学び、(理系でも文系でも)大学からは専門課程に入ります。よって、大学で人文系の教養科目は基本必須ではありません。(大学によっては多少違うかもしれませんが)
ヨーロッパの学生はよく旅行しますね。それも結構長く数ヶ月から一年も。
一見無駄なようにみえる余裕が思考力とか物事を多面的にみたり深く考えることに繋がっているいるようにも思えます。

グローバル化が進んでいる世の中で、世の中はどんどん複雑になっています。一生ローカルで生きていければいいですが、解決すべき問題も難しくなっているなか広い視点をもっていくことはますます重要になるのではないでしょうか。

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