ボストン市が考えるイノベーションエコノミーを牽引する為の市の役割

アメリカ経済を前にすすめているもの、それはゼロから何かを作り出すダイナミクスですが、これは企業、大学、個人ベースだけでなく、それを支える市や州も大切な役割を果たすべく今年で2年目に入るボストンのウォルシュ市長は、去年から、起業家、ベンチャーキャピタリスト、教育関係者達に、ボストンがニューヨークやサンフランシスコとどう差別化を図りイノベーションエコノミーを牽引していくのかということについてヒアリングを行ってきました。シリコンバレーに比べ、ボストンのほうが、人も企業、社会も協力的で、”協働”というイメージを持つ人々も多いです。

ボストン市内にのみならず、周辺地域のスタートアップ、イノベーションエコノミーも一緒に促進するために、市はStartHubを立ち上げることなりました。ボストン市内に限らず、周辺地域のスタートアップのプロモーション、ネットワーキングイベント等を開催していく予定です。
個人的にもアメリカは自由な国というイメージがあったのに、意外に規制が多いということは感じます。現地の人達は、9.11のあとに特に厳しくなったといいますが、ビザの問題を初めとして、食品に関する規制や販売に関する規制など様々な市や州が許可をださないとできないビジネスの分野というのも多くあります。特に、スタートアップの分野ではそういった法規制のグレーゾーンでビジネスをやろうとしている場合、明らかに許可が必要な場合、どこに相談したらいいのか、誰がキーパーソンなのか、わからないことが多いということで市としては、そういったスタートアップが成長するのを助けるために特に市が許可を与えなくてはならないような分野を重点的に(そうでないものも含め)メンターを紹介したりすることに力をいれると発表しました。

市のほうからの働きかけで、イノベーションエコノミーを牽引するためにできることを積極的に考えていくという姿勢はアメリカ的なんでしょうかね?日本の公的機関の方と以前話した時に、日本の場合、民間が先にいっていていて、それを公的な機関が追いかける形になることがほとんどだといっていましたが。顧客目線、この場合はお客さんはスタートアップということですが、で自分達の役割を考えるということは公的機関にも是非とりいれてほしい部分ではないでしょうか。

関連記事:
イノベーションエコノミーをどのように育てるのか   −ケンブリッジ市の成功例から学ぶ−

手書きを減らすことにしたフィンランドの教育

アメリカでドイツ語の先生をやっているドイツ人の友人がSpiegel という雑誌の記事を送ってきました。Spiegelは鏡の意味ですが、週間発行部数ヨーロッパ最多の週刊誌でニューズウィークとエコノミストを混ぜた感じでしょうか。

その記事によると、PISAの学力テストの上位にいるフィンランドの教育はドイツも手本にするくらいのものですが、フィンランドでは2016年から小学校でも文字を手で書くということに時間をさかなくなるという話で、フィンランドでは、手で書く以上にタイピングが問題なくできるということは重要な能力であると位置ずけており、教育の場で手書きをするという時間が減りそうです。
雑誌ではその話に専門家も驚いていて、アメリカも含め、世界的にもそういう流れはあるものの、ドイツは手本にするべきではないという考えです。

実際、ドイツの小学校の1年生は、まず字の書き方を覚えます。 Aはブロック体ではこうかいて、筆記体ではこう書いて、、、今時の子は幼稚園で結構アルファベット26字くらいは覚えているのでは?と思っていても、1年間丁寧に時間をかけてアルファベットの書き方、そして簡単な単語や文章を書きながら字を綺麗に書けるように練習します。

習字という文化がある日本人的にみると、字を綺麗に書くことは大切なこと、いいこと、という考え方は日本人にも近い気がしますが。。。自分が子供の頃は先生が読めない字をかいたら減点だった覚えがあるのですが、今はどうなんでしょうね?
大人になったらほとんど全ての文書がタイプしてあるものになってしまっていますが、それももちろん理由でしょうが、学校の現場では先生方もタイプしたほうが読みやすいという理由もあり(少なくともアメリカでは)タイプが推奨されているようですね。

手書きのほうが学習効果が高いし、記憶として残る、授業で手書きをしないことで認知能力とコーディネート能力が発達しなくなると研究者は警鐘をならしていますが、実際、ドイツでは男子の30%、女子の15%が手書きを習得するのに深刻な問題があるそうです。
子供がちゃんとした文字がかけるようになるには、正しく練習することと動機ずけが重要だそう。手先の器用さというのは小学校4年生くらいまでには半分は完成してしまうので幼稚園くらいの時から親が遊び半分に色々教えながら子供が自然に、手を使っていくというのはいい方法ではないかともいわれています。

日本の子供達って、小学校に入るまでに本を見ていたり、カード遊びや家で親や兄弟に教わったりして自然にひらがなくらいは覚えると思うのですが、日本語のひらかな、カタカナ、漢字と3種の文字をひたすら書きながら、しかも習字等で綺麗に書くことを覚えていくことで実は手先も器用になっているかもしれないですね。

フィンランドの決定が子供達にどういう影響を与えていくのか、この結果がでてくるのは時間がかかると思われますが、こういう記事を読むと人ってある部分は発達していくのかもしれませんが、ある部分は確実に退化していくんだろうなと思ってしまいます。

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手書きと記憶の関係

記憶に残るのは手書き?それとも、コンピューター入力?

スマホ依存から抜け出したい人にオススメなアプリ

1月13日のボストングローブの一面 には、スマホに依存している人達のためのデトックスアプリを紹介していました。
スマートフォンの登場で、人々はいつも常に誰かと繋がっていることを確認できる、もしくは確認しなければならなくなりました。
便利である反面、常に何かにコントロールされている感じもしてしまいます。人と会っているのに、その人に集中もしくは今していることに集中するのではなく、常に他からの何かを確認、もしくはチャットしている人達、宿題をしているのに、数分(数十秒?)おきにメッセージに対応している子供達と、携帯電話が普及し始めた時も、そのマナーが問われましたが、スマホの場合はほとんど中毒?と思えるような行動をする人達もいます。

アメリカでは大人のスマホユーザーの10〜12%の人達に強迫性の行動障害が見受けられ、3人に1人は数分スマホがないだけで不快であると感じ、3人に2人はスマホと共に寝るか、隣において寝るということ。心あたりがある人って結構いるんではないでしょうかね。。。子供にスマホやりすぎといういう前に、大人がすでにそうなっている感じがあります。。。
すでにアルコールや麻薬中毒患者のためのリハビリ施設のようにスマホ依存の人のためのリハビリ施設がありますが、そこでは1990年代後半からハイテク機器、ビデオゲーム、インターネットポルノ等への依存症に対する治療を行ってきましたがモバイル機器が広がってから患者がさらに増えているそうです。

フェイスブックをやめた友人は、やめることにした理由として自分が誕生日にもらうメッセージ数よりも、自分が他人に書くメッセージ数のほうが多くてうっとうしくなってやめたといっていましたが、自分でやめるという決断もしくはコントロールできる人達はいいのですが、依存症になって自分ではどうにもできなくなってしまっている人達はどうしたらいいのでしょうか。そんな人達の為に、いくつかアプリが紹介されていました。

まず、The MomentというスマホやiPadの使いすぎに警告をだして、バーチャルとリアルな生活のバランスをとれるようにするアプリ。目的はスマホを使う時、フェイスブックやゲーム、アプリを使う時はなんとなくではなくもっと意識的に使ってほしいということなのですが、アプリのダウンロードはただですが、ファミリープランがあり、親に子供達がどれだけデバイスを使っているか知らせてくれて使用の制限をかけられ、強制的に終了させることもできます。3ヶ月で5ドル99セント、1年契約で19ドル99セントとのこと。

それから時間を設定してその間は電話機能とテキストメッセージしか打てないようにしてしまうアプリ、Digital Detach 初日に10万回ダウンロードもされて開発者自身がどれだけたくさんの人がスマホ依存になっており、止めたくても自分の力ではやめられなくなっている人達が多いということに驚きました。何か新しい習慣を始める時に、ただだと、続きませんが、お金を払うことにより、人はより覚悟することになります。ということでDigital Detach はダウンロードするのに1.99ドルかかります。

Digital Detach

Digital Detach

そしてケンブリッジ発のHeyWire
このアプリはオフィスで使っている固定電話の番号を使ってテキストメッセージを送ったり受け取ったりすることができるものです。これにより、仕事関連のラインと個人のものをわけ、就業時間を過ぎたら自動的に自分はいないというメーッセージを送れます。このアプリは強制性はなく、いつも繋がっていることは必要とは思っているものの仕事とプライベートを分けたいという人向けのようです。

Digital Detoxは一番、厳しい強制デトックスプログラムですね、どのくらいの時間デトックスするのかは自分で設定しますが、このアプリが動き初めてしまうと911番(アメリカの火事、救急、警察等の緊急電話番号)しか使えなくなり、ほかのプログラムと違って、ハッキングスキルがなければ自分でリセットするのはほぼ無理というもの。

在宅仕事ができるようになっているということは、逆にいえばいつでもどこにいても繋がれるということで、もちろん利点も大きいですが、スマホやデジタル機器を特に学校で使うような場合はその適切な使い方をメーカーや販売会社がCSRとして率先して行ってくれるといいのですが。。。

それにしても、自分で依存していることに自覚がある人達はまだいい方で、本当の問題は、自分ではおかしいと思っていない人達かもしれません。

変わる家族の形

ピューリサーチセンターの調べによると、伝統的な家族の形、結婚一度で父親、母親、子供達、というのはすでにマイノリティーになっていることがわかりました。
伝統的な家族構成で生活している18歳以下の子供達はアメリカでは1980年にはまだ61%いたのに、現在は46%(半分以下!)しかいない、ということ。

1980年には19%だったシングルペアレント家庭は現在では1/3以上になり、15%は両親のどちらかが再婚(もしくは両方)している家庭、5%は親元ではなく、祖父母やその他の人(家族や施設?)の所という具合です。2013年度からこの調査のシングルペアレントには、同性婚の子供達も含まれていますが、それ以前のデータにはこの数がないことが現在、数字上シングルペアレントが増加している理由の一つかもしれませんね。

伝統的な家庭の形が変わってしまった原因は離婚率が上がったこと、1960年代は5%だった婚外の子供の誕生率(41%)が増加していることが挙げられています。
日本では、核家族化という言葉がありますが、これが更に進んでしまうと、こういうことになってしまうのでしょうか。とりあえず、結婚して離婚という流れが、フランスのようにそもそも結婚をしない、というパターン、そして最近40代の独身女性が口にするのをきくのですがパートナーはいなくてもいいから、子供がほしいというパターン・・・
もうこうなってくると、家族って何?っていうことになってしまうのですが、家族には色々な形があっていいと思う反面、ヒトとしての本来の役割みたいなものを考えると、なんか不自然さを感じてしまう自分は保守的なんでしょうかね。

日本では養子縁組というと、ある程度大人になってからの家族間での取り決め、家業を継ぐ為、婿養子なんていうのが一般的ですが、アメリカだと普通に外国からも乳児の時点で養子を受け入れる人達も多いですね。養子と実子を一緒に育てている人達もよくみかけます。

日本の少子化に伴う労働人口を増やすためにどうするのかという議論では、移民を受け入れるか出産を増やす、という議論をききますが、養子をとる、というのももう一つの選択肢として考えてみると。。。しかし、それは移民以上にハードルが高そうですね。

子供に言うことを聞いてもらいたかったら、文字で読ませた方が効果的

2011年〜2014年にかけて数百人の子供達を対象に、ボストン大学教育学大学院の准教授等が行った研究によると、子供達、特に文字がやっと読めるくらいになった3歳〜6歳児の子供達は口頭で指示されたことよりも文字としてかいている事に従う、ということがわかりました。
http://www.bu.edu/today/2014/want-children-to-listen-write-it-down/

この傾向は、書いてあるものを読んで行動する大人の行為(例えば、レシピをみて料理をしたり、交通標記に書かれているものを読むといった行為)をみることで影響を受けるのではないかという指摘や、特定の誰かがいうことよりも、標記されているもののほうが一般的なものとして、従いやすいということなのでないかという指摘もあります。

きく、というのはどうしても受動的なことで、読むというのは多少なりとも能動的であり、小さい子供にとっては特に一生懸命読むわけですから記憶にも刻まれやすいということなのかな、とも思ってみましたが。XXしてはだめよ、とかいうのも、XXしてはいけない、という文書を声にだして読ませた方が効果的ということらしいです。これは大人でもわかる気がしますね、音読したほうが、情報として記憶として残るような気がします。

研究によって書き言葉が若者にとってかなりのパワーをもつということがわかりましたが、オンラインの情報源が信頼できるものかどうかをどのように選別していくのかということに関していい指針がないことを准教授は危惧しています。

アメリカの学校では、中学、高校になるとコンピューターなしでは宿題の確認もできないような学校も増えています。クラス全員にiPadを支給したり(学校内での使用のみ)何かを調べるにも昔と違って、ほとんどインターネットでやる学生が多いでしょう。

しかしこれは情報を探すときの大人にも同じようなことがいえるわけで、どのソースをとるのか、それは正しい情報なのか、といったリテラシーの問題は学校教育の現場にいる先生方も本当のところ手探りなんではないでしょうかね。。。
大人でも、その辺の個人差というのは広がっているのかなという気がしますし、過去の検索の履歴や個人の行動から同じ検索ワードをいれても、結果が違うということになると、グーグルのような検索エンジンに支配されているような気がしないでもありません。

以前、アメリカの中学校の歴史の先生が、歴史の年代や史実等Wikipediaも含め、ちょっと検索すれば出てくるようなことは授業では大きく扱わず、それより、史実の背景や、例えば同じ事件を新聞が扱う場合でもどうして数社の報道のされ方が違うのか、どう違うのか、それはなぜなのか、といったことを考察していくという話をされていたのを思いだしました。そういった、一つのものを色々な角度からみることができるということは個々が見つけた情報をどう判断するのかといった情報リテラシーを上げていくことにつながるのではないでしょうか。

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