ピッチコンペってこんな感じ。

ボストンエリアでは、しょっちゅういろんなところでピッチコンペティションをやっています。

スイス科学領事館が企画し、マスチャレンジ、ベンチャーラボが参加してハルトビジネススクールで行われたピッチコンぺをみてきました。
ベンチャーラボは毎年スイスのスタートアップ企業を20社ばかり選抜し、10日ほどかけてボストン、ニューヨークで研修を行います。ビジネススクールでコーチングをうけたり、ネットーワキングイベント、各種セミナーをうけ、アメリカのアントレプレナーシップ、ビジネスのやり方を学び、このイベントにも参加します。
ベンチャーラボのメンバーが参加するピッチコンぺはセッティングをかえて毎年行われるのですが、今回はハルトビジネススクールやマスチャレンジからの参加もあり、以前ブログでも紹介したPavlok もコンテストに参加していました。やはり、アメリカ勢はピッチがうまいですねー!

なんと今回は日本でもIPOを果たしているヒューマン・メタボローム・テクノロジーズも参加していました!こういうピッチフェスで日本の会社が(日本人が)参加しているのをみることはとても少ないので、嬉しい驚きです。ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズは本社は山形にあり、慶応大学からスピンオフした世界に誇れるオンリーワンテクノロジーを売りにしているバイオベンチャーです。

さて今回は、メドテック、バイオテック、エンジニアリング、IT/ソフトウェアと分かれてまず一次コンペをして、各分野から選ばれた代表がファイナルに進み、ファイナルでは、事前に知らされなかったお題、

”なぜあなたが、このスタートアップを率いるべきなのだと思いますか?”

について5分考える時間が与えられ、その後、指名された人が1分間でピッチをします。
通常の1分間で自社について述べるピッチより、その場でテーマを与えられて話すピッチのほうがより、その人らしさがでてみている方は面白いですが、自分がもしそこにたっていると考えると。。。やっぱり相当自分に対する自信とやっていることに確信がないと無理かも。

自分の服をレンタルできるRedress

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こういうピッチフェストでいつも思うのですが、B to B のビジネスとB to Cのビジネスでは一般人と専門家のジャッジの理解度は全然違うだろうなということ。特に一次審査は専門性の高いものより、誰にでも受けのいいものが選ばれる傾向にあるので、製品やサービスの中身が濃くても伝わらないということが多々あります。すでにビジネスとして軌道にのっているものが、大衆うけするとも限りません。地に足がつきつつ、夢をみさせてくれるようなものが好まれるとでもいいましょうか。。。
まあもっとも難しいビジネスをいかに誰にでもわかるように簡単にいうかがピッチの意味でもありますが。

ファイナルでは、観衆とは別にシリアルアントレプレナーや専門家からなる特別なジャッジ3人が、勝者を選びましたが、今回はどちらもDDG というヘルスケアリサーチのマーケティング会社が選ばれました。賞はスイス行きの飛行機チケット。
メドテック、バイオテック関連のスタートアップが多いのもボストンならではという感じがしますね。

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アメリカに学ぶ失敗力?

アメリカにいてよくきくことは、失敗を恐れずどんどんトライしろということですが、えーそれで進めちゃうの?っていうくらいのレベルでも、市場にだして、答えは市場にきく、というスタンスを感じますよね。そうやって現場でどんどん改良、改善をしていく。走りながら、同時にバージョンアップしていくからスピードがあります。
小さな間違いを許してどんどん修正していけば、大きな間違いをおこしにくくなるという感じでしょうか。

一方、日本人は完璧を好み間違いがないように一歩ずつ着実に進みます。行動力がないのも、失敗を恐れるからなのだと思いますが、なぜ失敗を恐れるかといえば、社会の許容力がない、ということも大きいのではないでしょうか。間違いが起こると、必ず管理の問題が問われ、さらに間違いが起きないように入念に調整や修正がされていくわけですが、そんな日本の社会はやはり管理社会であり、組織が大きくなっても質を管理し、高い質をキープするようなことに関して、日本人は得意なんだと思います。
ところが、イノベーションが停滞している今の社会では、少なくとも経済活動においては0から1を立ち上げるような全く違うリーダーシップが問われます。

スタートアップの世界は、間違いがないように、完璧な製品やサービスができてるのを待っていたら、間に合いません。
いろんなことを並行してどんどんやっていかなければ、スピード勝負の世界で生き残ることはまず無理でしょう。
顕著なのはテック関連の分野でしょうが、先に数の世界を抑えたところが勝ちます。

アメリカにいると、中高生でもリーダーシップの重要性というのを学校生活の中で、目の当たりにします。それはスポーツなどの部活の中であったり、ディベートなどの授業でもありますが、リーダーというと、日本では誰かが、何かをリードする、支配する(?)というどちらかといえば、1対複数人という構図が浮かびますが、そういうことだけではなく、自分の進む道を、自分自身をリードしていくということにもつながるのでは?
何か新しいことをしようとすればそこにはいつも失敗はつきものです。失敗を減らすことはできても、失敗なくして前に進み続けることは不可能なのではないでしょうか? 失敗したら他人に迷惑がかかる、ということも当然頭をよぎりますよね。人に迷惑をかけてはいけないと教育されている日本だから、これだけ都会に人がいても、礼儀正しく、安全、快適に過ごせるのだとも思いますが、他人に迷惑を全くかけずに生きていくなんてことは不可能だとも感じます。

物事には大抵、いい面と悪い面があって、悪い部分があるから全てがダメとはいいきれず、ルールと規制でどんどんがんじがらめになった管理社会で、他者に対する許容性が失われていくのはさらに怖い事だと思います。

大学間の資金の格差がますます鮮明にーその2−

アメリカの大学間の資金格差は確実に広がっています。

ハーバード大学は世界一リッチな大学であることで有名ですが、先週400億円以上の金額が、ハーバード大学エンジニアリングと応用科学学部に寄付されました。
リッチな大学がさらにリッチになる、ということでこのような高額な寄付はもっと他の目的に使われるべきという非難の声もでています。この金額は全米の大学の寄付金のうちの98%を超えるということで、いかに高額がということがわかります。(ボストングローブ6月9日)

日本の大学のグローバル化対策のために文部科学省は「スーパーグローバル大学」に、国公私立大37校を選び2023年度までの10年間に1大学当たり最高約4億2千万円の補助金を毎年支給することになりました。

先日のNAFSA2015で日本の規模の小さな私立大学に勤めているアメリカ人の教授が、教育の公平性を求め、小さい規模の大学にも支援が欲しいという要望をだしていました。強いところをさらに強くする政策をしてどうするんだ、とアメリカ人が言っているのをきいてなんだか妙な感じがしましたね。。。。
もっとも日本の場合は、アメリカのように市場原理が働いてそうなっているというより、国策としてあえて格差を作ろうということですが。

現実的に考えてみると、日本の少子化、と大学数を考えれば、学生が集まらない学校というのは確実にでてくるでしょうし、それと同時に、いい学校にもっと人が集中してくるということになるでしょう。

特に私立の場合、強い特色がなければ確実に存続できなくなってくると思われます。
しかし、学費が安ければ、人が集まるのかといえば、そうともいえず、例えばこんな例があります。

スイスの大学は基本国立大学であり、授業料は大学間で多少の違いがありますがだいたい年間10万〜15万円程度、ところが私立の大学も少数あり、その場合、アメリカの大学と同じくらいの金額のところもあります。
同じ国の中で、(しかも小国)これだけ金額の差があっても、人が集まるんですね。高校でも同じことがいえます。ヨーロッパの公立高校は基本無料ですが、ボーディングスクールにいくとなると、年間アメリカの大学にいく以上の費用(場合によっては1000万近く)がかかります。それでも人は集まってきます。
要するに、私立であれば、ターゲット、教育指針が明確でなければならず差別化できれば、十分生き残っていけるともいえます。

ハーバードの場合は、資金が集中することでボストンエリアでの雇用にも大きく貢献しており、多くの学生が授業料の免除をうけられ、研究にも多大な費用を使い、結果をだすことができるという好循環になっています。

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アメリカの一流大学に入りたかったらアジア人でいることが不利になる?

日本で国内のトップの大学に入りたければ、小学校の低学年からox塾にいき、中高一貫の進学率のいいところにはいって、塾は△塾。。。といったある種のルートがありますが、同じようにアメリカのトップ大学に絶対子供を行かせたい親、また学生のために、大学の願書を出す数年前から、志望校をみすえ、SAT、GPAといったスコアだけでなく、高校ではどんな科目を履修して、課外活動はどんなスポーツ、音楽、ボランティアは何をする、というように完璧な履歴書を作るためにトータルに、プログラムを組むカウンセラーがいます。

アジア系アメリカ人がハーバードを訴えた話がありましたがここ最近は、アジア人の中での競争が激化しており、SATでフルスコア、GPAもかなりのハイスコアでもアイビーリーグに入れないというアジア系が増えているという背景があります。点数の高いアジア人は受け入れられずそれよりずっと点数が低いマイノリティーが受け入れられるのは違法だと訴えている話ですが、これは差別の話なのかダーバーシティの話なのか、ということですよね。。。6月1日のボストングローブ紙には、全米のアジア人比率は5%なのに2018年卒業予定のアジア人比率はハーバード生では20%、プリンストン大学では21%だとの統計があります。30年前にはSATでハイスコアをだしていれば、アジア人でいることがマイノリティーだったために、逆にいい大学に入りやすかったものの、今はアジア人でいることがかえってハンデになっており、同じようなテストの点数で、同じように音楽をやっている例えば中国人とインド人で中国人は入れなかったけど、インド人ははいれた、(もしくはその逆)ということも実際多々耳にします。

それだけ、アジア人は必死に勉強していいスコアを取るということだともいえますが、前述のカウンセラーもアジア系だということをなるべくださないような、エッセーを書けとか、アジア系は団体スポーツにあまり取り組まないので、サッカーやバスケットボールといった団体競技をやるようにとかそういった指導もしているようです。
アジア人は団体のスポーツより、個人競技やラケットを使う競技を多くしているといいます。(確かに、中国人って基本的に個人競技である卓球、バトミントン、体操って上手ですよね、、)しかし、実際社会にでた時はチームプレーを求められることが多く、そういう意味でも他人と協調できるとか、チームで何かを成し遂げるといったことは多くの場面で望まれます。

先日、たまたまボストンの中堅どころの規模の小さい大学に通う中国人の大学生と話した時、大学には学生を確保するために一流大学以上の比率でアジア人(特に中国人)がおり、授業によっては、先生がかなり英語のレベルをおとさないと学生がついてくることができず、アメリカ人学生の不満もつのる、そして卒業してここで仕事がしたいと思っても、今度は仕事を見つける際にまたアジア人同士の競争にさらされる、ということになっていると言っていました。一方、大学も資金確保のためにかなり積極的にアジアにリクルートしにいっており、しばらくはアジア人が増えることがあっても減ることはないようです。

逆にいえば、アメリカにとって中国はますます重要な国になっていくともいえそうですが。

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大学改革、グローバル化の意味とは?外国人を受け入れて英語でする授業を増やせばそれで済む?—NAFSA 2015 より

今回のNAFSA2015では日本の大学がグローバル化に向けて改革を進める中、文部科学省からもプレゼンがあるなど、国をあげてどのようなアプローチで改革を進めていくのかということも発表され世界市場を意識したものだと思われました。

今回、文部科学省の代表者、また文部科学省が選出した日本のスーパーグローバル大学の先生方が発表をしていましたがその中で、印象に残った話を一つ。
立命館アジア太平洋大学の教授でもある、近藤先生による発表で、日本の大学は変化が必要、しかし何を変えるのか、というテーマで話をされました。

簡単にいえば、英語で行われる授業を増やし、9月生の受け入れなど、制度を変化させても、現状世界で起きていることを理解し、明確なビジョンを掲げ、リーダーシップをもって教授陣、そして大学で働くスタッフ達を教育し変化に対応させていかなければ、表面だけの変化では意味がないという話でした。

大学の国際間での競争が厳しくなってくると、英語ができればなんとかなる、英語の授業を増やせばなんとかなる、という考え方では根本的な問題は解決しないということで、教育の本質を見失うと、授業料をただにしても、学生が来なくなるということになりかねません。大学自体がどのような人材を育成したいのか、ということが明確でない場合、当然意義のあるプログラムも組めませんし、魅力のないところには人は集まらず、資金もつきるということになります。

本来教育って理想を掲げるものだったのではないのでしょうかね?ランキングの数字や、就職率の数字は結果としてあとからついてくるもので、変化といっても、ある意味、時代に合わせた教育の本質を改めて問うという、原点回帰なのかなという気がしました。

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