精神的な日本の影響力

先日、ある国が主催する教育関連のイベントで、その会を開催した外交官と話をしました。その場に200人近い人がいたでしょうか、そこにいた一人の来客者が、ほとんど怒鳴り込むように、外交官に自分の息子をどうしてもその国に留学させたい、といってきて、その為に協力してくれないなら、訴えてやるくらいの勢いで、詰め寄って来ました。話をきいてみると、息子は、その国で生まれ国籍はもっているが、住んだことはほとんどないとのこと。息子がその場にいたわけでもなく、お母さんが全部段取りして子供にその通りに行動させようと考えているようで、完全にタイガーマムのようでした。しかし、息子はもう19歳で、自分で将来どうしたいかは自分で考えるべき年齢。私には、ただのわがままにしか思えませんでしたが、外交官の彼は、母親に息子が留学できるともできないともいわず、彼女が必要であるだろう情報と、すべきである行動を示唆して、なんとか、なだめて母親は去っていきました。

彼は長年外交官として勤務していると、滞在している国に住む自国の人間からも、又他の外国人からも、非難を浴びたりする事もあるといっていました。色々、理不尽な思いをすることもあるけれど、ある経験をきっかけに、何があっても大抵クールでいられるようになったと言います。その経験とは東日本大震災。あの災害時、彼は日本にいて、日本の被災者を助ける為にくる自国の人達の援助や、日本にいた自国民を援助する為に奔走したそうですが、其の時に目にしたあの津波被害にあわれた方達、そしてまだ災害の被害で苦労してる方達を思うと、何があっても小さなことに思えるそうです。大変な被害にあっているのに、冷静さを保ち、気を使い合い、助け合う日本人たちをみて、自分に起こっていることはなんてことはない、日本人ってすごい、という尊敬の念が今もあるとのこと。 “私が、今、どんなことがあっても大抵のことは乗り越えられるのは日本での経験の御陰です。日本は本当にすばらしい国。”

あの震災からもう少しで3年がたとうとしています。外国にも、まだあの時のことを忘れず、心を痛め、またともにいる人達がいるということをお伝えしたいと思いました。

契約する月で変わるアメリカの自動車保険料

車の保険の値段が契約する月によって違うという、記事が2月1日のボストングローブにありました。このデータは オンラインインシュランスショッピングファーム(online insurance shopping firm )の調べによるものです。

少なくともマサチューセッツ州の場合は、3月にもし車の保険を契約すると6月〜9月に契約するよりも20%も多く保険料がかかるということでした。
実は全米で調べた時に、この値段の差というのは州によっても結構ばらつきがあって、一番差があるのはハワイだそうです。一番高いのは3月、一番安いのは12月だそうで、その差は50%にもなるとのこと。一方、全米全体で見た時には、一番高いときと一番安い時の差は7.5%位。

日本の場合、年齢とか同じ契約でも何年も無事故だったり保険を使っていなければ、どんどん割引率が変わってくるということはありますが、契約した月によって値段が違うというのは聞いたことがありませんね。
実はアメリカでも沢山の人がこの事実を知らないらしく、もし保険を買い替えるという時は、時期を気をつけたほうがいいということらしいです。
マサチューセッツ州の天候を考えれば、夏より冬のほうが当然、事故率が高くなるということは積雪量をみれば容易に想像はできますが、それなら、毎月の引き落としの金額をかえるというのも、ありだと思うのですが、そういうことではないのでしょうか、保険は複雑なようです。

意外に大きい欧と米の差

日本からの視点でよく”欧米”という表現をし、アメリカとヨーロッパをひとくくりにみる見方があります。海外生活が長い方々からすれば、まだまだ、と言われそうですが、それでも欧米通算約10年住んで、様々な人と関わって思うのは(ちなみにイギリスはここではヨーロッパのカテゴリーにはいれません)欧と米は結構違うのではないか、ということです。もちろん、もともとヨーロッパから来た人達が多く居ついているわけで、考え方が似ている点も多々あるのでしょうが、歴史の中で、アメリカは様々な移民を迎えいれて独自に発達してきたので、当然、独自の文化があります。今回はあえて欧と米、違うと思う点を考えてみました。

両者の特徴をざっくりとキーワードとしてあげてみると(あくまでも対比の中での特徴です)

ヨーロッパ       アメリカ 

個人主義        集団の中の個
自己責任(自立)    面倒見がいい(依存)
自己主張        周りを配慮して自己主張
本質          表面的
学校は勉強重視     学校は社会性も重視
成熟          若さ
保守的         開放的

当然細かいシチュエーションをあげていけばきりなく反論する余地はあるでしょうが、流れとしては、ヨーロッパの人は個人を大事にするので、自己主張も激しいですし精神的にも早く自立する傾向があり他人にあまり、干渉しない。表面のことより、本質を大事にし、学校は勉強をするという位置ずけであり、社会性を育むような教育に関してはあまり、熱心ではないです。

一方アメリカでは、個人の能力の高さも問われますが、その力を集団の中で生かしていくチームワーク能力も問われます。よって、学校でも社会でも、社会性を重要視した活動や、様々な人種や背景の人が混じりあう人間関係がなるべく円滑にまわるように、開放的な環境作りに努力しますが、一方、学校等は面倒見がいいので、精神的に自立するのが遅くなる、又、みんなと上手くやろうとすることで人間関係は深い付き合いというより、広く浅い表面的なつきあいになりがち、という感じでしょうか。

日本人が思っているほど両者は似ていないと感じますが、ただし、両者の日本(人)に対する態度が似ている、ということはあるかもしれません。
又、欧米といった時、正確には英米といっているのではないかと思われるような発言もみうけられます。

そう考えると、日本はアメリカに近い感じさえします。日本は戦後、ずいぶんアメリカの影響をうけたということでしょうか。

女性の管理職がふえない現状

マサチューセッツ州は、アメリカの他の地域に比べ革新的な地域ですが、”女性の管理職” という観念でみると、女性の社会進出はそれほど進んでいないということが 女性のリーダーを増やそうと活動している団体 Boston Clubによって発表されました。 ボストングローブ1月23日

以前より、より多くの女性が米国100社の大企業の高い役職に従事しているといいますが、調査をした18州のうちマサチューセッツは8位という結果で、これがエグゼクティブやCEOレベルになると10位になってしまうそうです。(ちなみにトップはミネソタ州、オハイオ州、ニュージャージー州)
マサチューセッツ州のボードのメンバーのうちの13.8%が女性で、(ちなみに、米国全体では15〜17%)それでもこの数字は10年前よりも50%ほどあがっています。そして、100社のうちの3/4に、少なくとも一人の女性がディレクターとしてはいっています。

リーダーシップに多様性がでると、企業のボトムアップができるだけでなく、社会的責任に対する努力が向上する、ということで会社はとりあえず、一人女性を役員にいれようとしますが、少なくとも会社のカルチャーを変えるためには3人は必要、そうすることによって、女性の発言権も増え、役員会が効果的になります。すると、男性のボードメンバーの認識が変わり、女性のディレクターとしてでなく、新しいディレクターとしてみるようになるそうです。

国の100の大企業のうち10社だけが、女性の役員を3人をボードメンバーに迎えています。ボードメンバーの問題は大抵親戚か投資家であり、仲間内になってしまっていることです。ボードメンバーの多様性が必要なことがみんなわかっているのですが、なかなかその状況をかえることができません。
沢山の産業において、かなりハイクオリティーの女性が多いのですが、実際にはみんなが知っている人達が選ばれてしまうそうです。

人的ネットワークが少ないこと、エグゼクティブになれるようなキャリアパスを進んでいる人が(スキルも含め)十分にいないこと、そして、社会的地位にあまり執着しない人が多いといったことが女性の役員の数が増えない原因に考えられるでしょうか。

日本企業の国際化を考える、日本人も英語を話せたら国際人?

日本企業の国際化についての話を友人と議論していた時、ふと、国際化ってなに?ということが頭をよぎりました。
日本人も英語を話せたら国際人なのだろうか?ということを考えてみます。

ちなみに、日本人に限らず、例えば、あるドイツ人が日本に数年住んでいるとします。その人は、日本人からみれば、ドイツ人ってこういう人なんだ、というイメージになると思いますが、その人はもう普通のドイツ人ではない場合が多いです。外国にでて何年も暮らしたドイツ人と、一度も外国生活を送ったことのないドイツ人は、ある意味違うカテゴリーの人達です。それは外国に住んだり、外国語の環境にいることで、習慣や、文化、宗教の違いであったり、自分の価値観を根底から覆すような何かが起こるわけで、それなりにその人はそこでの生活がしやすいように、(そうはみえなくても)その環境に合わせている場合が多いからです。
まれに、当たり前のように、なんの問題もなく、新しい国の環境にすんなり住み着いている人がいますがその人は昔、そこの国の人だったに違いありません。(笑)

英語が話せるアメリカ人やイギリス人だってその国から出た事のない人は決して ”国際人” だとは、いえないですよね。日本人は英語が下手だといわれますが、アメリカ人だってどれくらいの人が外国語を上手に話すでしょうか。

そう考えてみると、本当は”国際人”というのは自国の言語以外でものを考えたり、コミュニーケションがとれ、その言語の文化的背景が理解できる人と、考えるのが、妥当な気がします。ただ、現状はどうしても世界的に経済活動の主流が英語なので、英語がその手段になっているというだけで。

日本人に限らず、いわゆる国際人と言える人達をみると、(例外はもちろんいますが)少なくとも以下の3つの点を兼ね備えてるように思います。(要注意なのは外国に長く住んでいれば、みんな国際人になれるかといえれば、そうともいえません。例えば10年以上その国に住んでも、その国の言葉を話せない人達もいますし、現地のコミュニティーに属さず、母国語のコミュニティーのみでいきていくのだって、都会ならば結構できてしまうわけで、それも又国際人といえるかは疑問です。)

• 柔軟性
その環境や状況を受け入れるという事。例えば、店が土曜の午後2時に全てしまって月曜まであかないとしても、それを無理矢理あけるわけにはいかなかったり、このアパートは10時以降は風呂の水を使ったり、シャワーを浴びてはいけない、という規約があればそれに従わないといけないという、ある種、郷に入っては郷に従えて的な柔軟性。それをストレスなくうけいれられるか。

• オープンさ
新しいことや、自分の知らない事、他人の意見に対して、偏見をもたず、興味をもって望めるか。

• 積極性
知らない環境では、何かが起こるのをまっていても、何もおこりません。自分から動けるか。
これは自己主張の強さ、とは別ものです。主張もするけど、まず話をきいてから。逆に、常に自分を主張している人は外国では生きにくいと思います。

そう考えてみると、ツールとしての英語を学ぶということでは、必ずしも企業が国際化ができるわけではないのかなあ、と思います。
ツールとして、語学を学んだ場合、文法は(文章は)合っていても、意味が通じないということがありえるわけで、おそらく、大手企業が英語を社内用語にまでするというのは、外国にでやすい環境を意図的に作る、という他の意味があるような気がします。