高額をだして大学に行く価値はあるのか?

大学進学率が世界的にみても高くなっている中、費用の高騰もあり特にアメリカでは本当に行く価値があるのか、ということを考えさせられる場面も多いです。
数千もの大学がある中でよくいえば、様々な人々が自分にあった大学を選択できる余地があるとも言えますが、世界トップレベルの大学と、レベルがかなり低い大学もそれほど学費に差がないということを考えると、投資費用にみあったものが得られるのかという話になります。これに関してエコノミスト紙が大学に行く価値はあるのかという特集を組みました。

高等教育のあり方としては、ヨーロッパのように、公的機関と考える場合と、アメリカのように一つの産業として考えるやり方があります。アメリカの場合だと市場原理が働き、競争、価格の問題が発生しますが、現状はこのアメリカ式の考え方が世界市場では強くなりつつあります 。ちなみにアメリカでは高等教育にGDPの2.7%を使っており、(OECDの国では1.6%)このまま世界がこの方式を進めていくとすると、高等教育の費用の割合が増えていくことになります。

エコノミスト紙によると、アメリカの場合、それでも高卒よりも学士をとったほうが平均収入は15%高くなるというデータがありますが、実のところ、その賃金格差が大きくなるのは、先進国なのではなく途上国のほうだといいます。先進国の場合、すでに知的集約的な労働をしていることが多いのでは生産性に対するインパクトは途上国ほど高くないとのこと。

大学にいくことが、お金を払っただけの価値があるのか、ということを考えた時、純粋に卒業後の給料で比べるということも一つの指標ですが、大学で学んだことがなんだったのか、それが身についているのか、その知識は社会で必要とされる基準に達しているのか、ということももう一つの指標になりえます。

それをはかるためにOECDが実施しているPISAのような学力調査の高等教育版としてAHELOというテストがあります。試験段階で経済学とエンジニアリングの分野を実施していますがこれを本格的に始動させる障害になっているのが政治的な理由のよう。
日本を含め、アジアの国では、大学が国際競争の中で戦う為には国際的に公平な評価の枠組みが必要ということがわかっていても、アメリカではそれはなかなか進まないといいます。現在ある大学ランキングの中ではもちろん上位はアメリカの大学ですし、現状の高等教育で圧倒的に市場を握っているのもアメリカの大学です。

本来、職業訓練の非常に良いシステムをもっているドイツ語圏、ドイツ、オーストリアでも大学進学率が50%を超えています。スイスも国全体でみれば大学進学率は20%をきりますが、フランス語圏の場合はそれでも非常に高い率が大学にいっています。

オーストリア人の友人は、職業訓練をする人が減っていると感じるのは、大卒、もしくは博士号をとっても仕事がみつからないという話を聞く時、そして電気工事や水道工事など、特別な技術をもっている人を頼もうと思っても、なかなか人が見つからない時だといいます。本来これらの一般家庭が関わりのあるようなレベルの工事や修理というのは、職業訓練を受けてきた人がする仕事なのですがこのままいくと需給バランスが崩れこういった、日常的に必要がある仕事をする人たちの給料がある時点から逆転する日がくるのかもしれません。

それから大学の役割を考えたとき、研究機関としての側面と、教育機関としての側面があります。研究機関としての大学の役目を見たときにアメリカの大学は大きな役割を果たしていると言われますが、学業面を見たときに、学費は高騰しているのに45%のアメリカ人学生は始めの2年間には何も得るものがなかった、成績がよくならないと答えています。
これは、以前書いた大学がAP(Advanced Placement)の単位を認めたくない理由の中にもありましたが、少なくとも大学1年レベルの勉強が高校の範囲ですませられるものだとするならば、もしくは高校のうちにすませてしまったのならば当初の2年間は得るものがないということを話す学生が多いのもある意味うなずけます。

一方、ボストンでは日本以上に学歴社会だと感じることが多いですが、こちらで人材採用をする人と話した時に、一つのポジジョンに100人程度きた時に、面接をするかどうかというふるいにどうかけるのかといば、それはやはり大学名と何を選考したかということで、担当者が大学名でとりあえず選考するのは、一流大学側の厳しい選考プロセスをその学生が乗り越えたという点を大きく、考慮するということで必ずしも、大学で何かを一生懸命勉強してきたか、成績はどうかということではないということ。(これが、もし違うシチュエーションで、会っていたらたぶん、選考基準は同じではないと思われますが)

以前は日本の大学は入るのは大変だけど、入ったら楽でアメリカの大学は入ったあとが大変、ということを言われましたが、アメリカではこの傾向もどうやら以前とは変わっているようです。大きな規模の大学では、教授は自ら授業を担当せず、特に学士のプログラムでは先生方も昔ほど力をいれなくなっている結果、1960年代までは授業時間を含めた週の勉強時間が40時間だったのに、現在では27時間にまで減っているそうです。そしてそれが、学生のレベルと落としているのではないかということもいわれます。

一度上がってしまった費用を落としていくというのは非常に難しい問題になりますが、アメリカでもAPをどんどん認め、ヨーロッパやオーストラリアの大学のように3年で学士をとれるようにしてしまえば少なくとも個々の負担は減って行くように思います。

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大学がAP(Advanced Placement)の単位を認めたくない理由
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大学での学習結果を評価する新しいフレームワーク

大学の卒業式の時期になりました。教育機関に携わる方々は様々な式典に出席される機会が多いのですが、前ノースイースタン大学の学長であり、マサチューセッツ州の高等教育のコミッショナーであるリチャード・フリーランド氏が ”大学にいく価値があるのか”、という質問に答える為に、大学側が新たな試みを始めた話がありました。(ボストングローブ5月9日)

沢山の卒業式に今まで参加し、卒業証書を渡すという名誉ある役目をしてきたフリーランド氏が思うのは、本当にこれらの大学生が何を学んで、何ができるようになったのかということがわかっているのだろうか?ということでした。そして、それをはかる信頼できる方法がないということに気ずきます。

現在のように多数の大学があるようになると、どの学位が本当は何を意味するのかということが明確にわからなくなっているのです。グローバル経済において米国の雇用者が直面している競争上の課題や上昇している大学費用を払う家族の葛藤により、ますます、卒業生がどのようなスキルを身につけているのか、ということを具体的に説明する必要を求められています。

オバマ政権の提案している大学の評価システムはこれまで卒業率、大学のコストに関する情報提供が中心で、学生の学習成果を測定したり、報告することを大学に要求しませんでした。近年のクロニクルオブハイヤーエジュケーションのリポートでは、多くの大学は標準テストに基づいた評価システムを利用しなくなっているそうで、理由はそれらのテストでは限られた価値のデータしかえられず、教えることの質を改善するにはほとんど役にたたないからだとみています。

明らかに、学生の知的能力を証明する新しいメカニズムが必要です。共通の判定基準がなければ、プログラムも改善できないし、将来の就職の為や市民活動に従事していくために準備もできません。

そこでマサチューセッツ州の大学は全米の学生の学習結果を評価するフレームワークを作ることにしました。このために全米から数百人の教員を巻き込み、プロジェクトを始めました。このプロジェクトのゴールは、よりよい評価システムと学生間の人種、民族、所得の差からくる成果のギャップを縮めることで学生の学習レベルが高くなるようにすることです。そこで試験的に学生の論文や宿題等を評価するモデルを開発しました。

このパイロットプログラムは7つのコミュニティーカレッジや、州立大学から数百の学生の論文、実験レポート、宿題等が幅広い分野から集められ、記述によるコミュニケーション、クリティカルシンキング、量的リテラシーの3分野に関して数十人の教員が評価しました。

このいわゆるマサチューセッツモデルは、標準テスト以外で全米で初めての学生を評価するシステムになります。そして、最近この他に8州参加することになりました。
大学にいく価値があるのか、という質問に対して、コスト計算の視点からでなく、卒業生が本当に競争世界にはいっていけ、世界に貢献できるのかという点を証明するために行う評価システムを目指しています。

参考記事:
文系大学での勉強って役に立たない?