もし選挙権年齢を引き下げるなら教育に期待すること

日本でも選挙権の引き下げの話がでてきていますが世界的にみると、18歳で選挙権を得る国が圧倒的に多いのですね。日本では若者に政治に関心をもってもらおうと、選挙年齢の引き下げに関して肯定的な意見が多いようにみうけます。選挙権を引き下げることで確かに若者の当事者意識は多少はでるのでしょうか。

昨今の、世界の情勢、治安の変化をみていると日本も政治的に大きな判断をしなければいけない時期にそのうちくるのかもしれないとは思うのですが、その時、若者に(もしその時、今より若い人達に選挙権があるとしたら。)投票権はあげるからどのように情報を処理して、判断するのかということは自分で考えてね、といってしまっていいのか疑問です。

18歳から選挙権のある国の多くでは、18から軍隊にいったり、15、6ですでに職業訓練に入り、仕事をしていたりして10代後半からなんらかの社会的責任を負い始める国々が少なくありません。ある意味社会的に大人になる地盤がある程度整っているといえます。

選挙権を下げるならばとりわけ中高生からの教育というのはますます大事になってくるわけで、政治のしくみといったことをもっと具体的に教えることも大事ですが、それ以上に自分の一票がどのような影響を与えうるのか、自分の国をどういう国にしていきたいのか、ということまで含めて考えていく力が必要になると思われます。(自分が選挙権をもらった20歳の頃にはかなり漠然としか考えていなかったように思いますが、もし高校生くらいの時にもっとディベート教育のようなものがなされていたら、もう少し、深く考えていたかもしれません。)

それには、学校教育の中で、異なる主張を出し合い、学生同士で議論を戦わせたりすることも含まれると思いますが、日本人の国民性としてどちらかといえば一つのことを多面的に考えるというのは不得手だと思います。それは同じような文化、価値観を持った人たちの集まりであり、空気を読む、調和するということを重要視されるからなのでしょうが、意見の相違はあくまでも意見が違うというだけで、それをもって個人を攻撃しているものではないし、するべきでもないということを理解することも大事でしょう。

そして、それは若者だけでなく、彼らを育てる大人の側にも責任があるのだと思いますが、情報を自分で選びとることから始まり、正しい答えを導くのを手伝うのではなく、その人なりの答えを出すのを導くという考え方を学校教育で行うことが、今後ますます重要になってくるのではないでしょうか。

兄弟姉妹がいることが子供達に与える影響

どこの家でも、子供の時は兄弟姉妹は本気でひどい喧嘩をしたりするものです。それでも子供の頃に友人同士で兄弟の話をした時にはみんなお兄さんお姉さんに憧れていたように思います。特に下の子は上をみて育つので、いいことも悪いことも親以上に上から学ぶことが多いですよね。逆に上のこは小さい子供達の面倒を見るのが上手になります。

なんとなく今更という気がしないでもないですが、そういった、兄弟間の関係が青年期における子供の発達においていい影響をもたらすということが研究でわかったとのリポートがあります。
去年の秋に行われたブリガムヤング大学の研究で308家族を無作為に調べたところによると、兄弟との関係が子供達が他人を思いやったり、尊敬したり、助けあったり、何かを他の人と共有するといった社会的な行動を発達させるということがわかったということです。研究では兄弟間の愛情が青年期の思いやりや社会的行動にいい影響を与えており、兄弟間のけんかは青年期における鬱や男子における攻撃性のようなものにいい影響を与えるということ。

実際には兄弟間でのけんかのあるなしにかかわらず、互いに愛情があるということがいい影響を及ぼします。そのポジティブな影響は男女に関係なく同じだそうですが、研究では男子のほうが女子よりもその恩恵を受けていないと感じています。

またイギリスのエセックス大学の研究では兄弟関係が思いやりや助け合いといった部分だけでなく、下の子の成績にも影響を及ぼすといいます。
4年間にわたる研究では、兄や姉が下の兄弟の成績に与える影響というのが特に低所得者層で大きくなっているといいます。弟や妹の宿題を手伝ったり、教えたり、学校の情報や先生についての情報を伝えることで下の子の成績が良くなることにつながるということだそうです。

小さい時は特に家族の中では遠慮がなく、素のままの自分をうけいれてくれる場所であり、それがあることで、ある意味いろんな実験ができるところという感じもします。
昔は兄弟がいなくても、近所の子供達と兄弟のように毎日遊ぶということができた人も多いように思いますが、少子化で子供の数が減り、近所の子供達とも遊ばなくなってきたり、また、都会では塾通いで家と塾もしくはお稽古事との往復ということになると、社会性を育むということがますます難しくなってくるのかなあ、と思います。そういったことが、大人になった時の人付き合いの仕方やコミュニケーション能力に影響を与えていくのでしょうか。

高校を中退するのは必ずしも金銭的理由からだけではないということが判明したマサチューセッツ州

マサチューセッツ州はアメリカの中でも教育熱心な州ですが、高校卒業率を上げるために、奨学金整備や学校側もここ数年努力をしてきました。その甲斐があってか、2014年の卒業率が、得に低所得層での層であがってきたとのリポートがでました。(ボストングローブ1月27日) 

2014年に高校を卒業した割合は州全体でみると86.1%、ボストンエリアでは66.7%しかありません。
そして、とりわけ卒業できないのが英語の能力が高くないグループで63.9%,必ずしも低所得者層というわけでもないですね。人種をみるとアジア人では92.1%が卒業しており、一番低いのはヒスパニック系(ラテンアメリカ系)で69.2%です。やっぱりアジア人は真面目な子供が多いのでしょうかね。男性よりも女性の方が卒業率が高いということで、総合してみると、英語がうまくないヒスパニック系の男性の卒業率が低いといえそうです。

アメリカは”格差社会” といわれますが、所得格差はなぜ広がるかといえば、教育格差も一因でしょう。大学費用が高すぎることもありますがそれ以前に、そもそも高校を卒業しない子供達が結構いるわけですね。ここでは義務教育が10年生まで(高校1年終了まで)なので、それも一つの心理的な境目になるのでしょうか。
金銭的な援助というのも必要ですが、言葉が通じないことの精神的な孤独感とか、人間関係がうまくいかないことでうまくコミュニティに馴染めないことも高校を卒業できない理由なのかもしれません。

ちなみに日本では平成 25 年3月に東京都教育委員会 が行っている調査によると、平成23年度では高校中退率は全国平均1.6%、中退している子供達の理由として遅刻、欠席が多くて学校に行きずらくなったり、勉強についていけないくなったりすることがあげられており、生活習慣そのものの見直しというのが指摘されています。人付き合いが上手くできたり、学校に居場所があればやめなくてすんだかもしれないと答えている子達が多いのですが、結局社会性が影響を与えていることはこの調査でもわかります。

手書きを減らすことにしたフィンランドの教育

アメリカでドイツ語の先生をやっているドイツ人の友人がSpiegel という雑誌の記事を送ってきました。Spiegelは鏡の意味ですが、週間発行部数ヨーロッパ最多の週刊誌でニューズウィークとエコノミストを混ぜた感じでしょうか。

その記事によると、PISAの学力テストの上位にいるフィンランドの教育はドイツも手本にするくらいのものですが、フィンランドでは2016年から小学校でも文字を手で書くということに時間をさかなくなるという話で、フィンランドでは、手で書く以上にタイピングが問題なくできるということは重要な能力であると位置ずけており、教育の場で手書きをするという時間が減りそうです。
雑誌ではその話に専門家も驚いていて、アメリカも含め、世界的にもそういう流れはあるものの、ドイツは手本にするべきではないという考えです。

実際、ドイツの小学校の1年生は、まず字の書き方を覚えます。 Aはブロック体ではこうかいて、筆記体ではこう書いて、、、今時の子は幼稚園で結構アルファベット26字くらいは覚えているのでは?と思っていても、1年間丁寧に時間をかけてアルファベットの書き方、そして簡単な単語や文章を書きながら字を綺麗に書けるように練習します。

習字という文化がある日本人的にみると、字を綺麗に書くことは大切なこと、いいこと、という考え方は日本人にも近い気がしますが。。。自分が子供の頃は先生が読めない字をかいたら減点だった覚えがあるのですが、今はどうなんでしょうね?
大人になったらほとんど全ての文書がタイプしてあるものになってしまっていますが、それももちろん理由でしょうが、学校の現場では先生方もタイプしたほうが読みやすいという理由もあり(少なくともアメリカでは)タイプが推奨されているようですね。

手書きのほうが学習効果が高いし、記憶として残る、授業で手書きをしないことで認知能力とコーディネート能力が発達しなくなると研究者は警鐘をならしていますが、実際、ドイツでは男子の30%、女子の15%が手書きを習得するのに深刻な問題があるそうです。
子供がちゃんとした文字がかけるようになるには、正しく練習することと動機ずけが重要だそう。手先の器用さというのは小学校4年生くらいまでには半分は完成してしまうので幼稚園くらいの時から親が遊び半分に色々教えながら子供が自然に、手を使っていくというのはいい方法ではないかともいわれています。

日本の子供達って、小学校に入るまでに本を見ていたり、カード遊びや家で親や兄弟に教わったりして自然にひらがなくらいは覚えると思うのですが、日本語のひらかな、カタカナ、漢字と3種の文字をひたすら書きながら、しかも習字等で綺麗に書くことを覚えていくことで実は手先も器用になっているかもしれないですね。

フィンランドの決定が子供達にどういう影響を与えていくのか、この結果がでてくるのは時間がかかると思われますが、こういう記事を読むと人ってある部分は発達していくのかもしれませんが、ある部分は確実に退化していくんだろうなと思ってしまいます。

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手書きと記憶の関係

記憶に残るのは手書き?それとも、コンピューター入力?

子供に言うことを聞いてもらいたかったら、文字で読ませた方が効果的

2011年〜2014年にかけて数百人の子供達を対象に、ボストン大学教育学大学院の准教授等が行った研究によると、子供達、特に文字がやっと読めるくらいになった3歳〜6歳児の子供達は口頭で指示されたことよりも文字としてかいている事に従う、ということがわかりました。
http://www.bu.edu/today/2014/want-children-to-listen-write-it-down/

この傾向は、書いてあるものを読んで行動する大人の行為(例えば、レシピをみて料理をしたり、交通標記に書かれているものを読むといった行為)をみることで影響を受けるのではないかという指摘や、特定の誰かがいうことよりも、標記されているもののほうが一般的なものとして、従いやすいということなのでないかという指摘もあります。

きく、というのはどうしても受動的なことで、読むというのは多少なりとも能動的であり、小さい子供にとっては特に一生懸命読むわけですから記憶にも刻まれやすいということなのかな、とも思ってみましたが。XXしてはだめよ、とかいうのも、XXしてはいけない、という文書を声にだして読ませた方が効果的ということらしいです。これは大人でもわかる気がしますね、音読したほうが、情報として記憶として残るような気がします。

研究によって書き言葉が若者にとってかなりのパワーをもつということがわかりましたが、オンラインの情報源が信頼できるものかどうかをどのように選別していくのかということに関していい指針がないことを准教授は危惧しています。

アメリカの学校では、中学、高校になるとコンピューターなしでは宿題の確認もできないような学校も増えています。クラス全員にiPadを支給したり(学校内での使用のみ)何かを調べるにも昔と違って、ほとんどインターネットでやる学生が多いでしょう。

しかしこれは情報を探すときの大人にも同じようなことがいえるわけで、どのソースをとるのか、それは正しい情報なのか、といったリテラシーの問題は学校教育の現場にいる先生方も本当のところ手探りなんではないでしょうかね。。。
大人でも、その辺の個人差というのは広がっているのかなという気がしますし、過去の検索の履歴や個人の行動から同じ検索ワードをいれても、結果が違うということになると、グーグルのような検索エンジンに支配されているような気がしないでもありません。

以前、アメリカの中学校の歴史の先生が、歴史の年代や史実等Wikipediaも含め、ちょっと検索すれば出てくるようなことは授業では大きく扱わず、それより、史実の背景や、例えば同じ事件を新聞が扱う場合でもどうして数社の報道のされ方が違うのか、どう違うのか、それはなぜなのか、といったことを考察していくという話をされていたのを思いだしました。そういった、一つのものを色々な角度からみることができるということは個々が見つけた情報をどう判断するのかといった情報リテラシーを上げていくことにつながるのではないでしょうか。

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