文系大学での勉強って役に立たない?

大学の勉強が役に立たない、という意見をききます。大学どころか高校の数学や科学でさえも、役に立たないという事を言う人達もいます。自分もそうでしたが、勉強って実は大人になってからのほうが、事の本質がわかっているぶん、はかどるような気がします。しかし、多くの人が、”若い時に、もっとちゃんとやっておけばよかったな” と思うものです。自分も今になって思うのは大学という場所を最大限有効活用してこなかったのでは、ということです。
そこで、少なくとも文系の大学での勉強が社会に出た時にどうしたらいかせるのか、ということを考えてみたいと思います。

大学の勉強は簡単に大きく分けると2つになるでしょう。
1 専門の基礎的知識をえる。

例えば簿記、会計、マーケティング等にはそれぞれルールやセオリーがあり、法律の解釈の仕方にも原則があります。それらは言語と同じように、考えてわかることではなく知っているか、否か、という事であります。現実社会ではアレンジをしたり,実際の使い方は違っていたりするケースもありますが、学校では原則ということを学びます。

2 原則や専門知識を使って、正解のない(わからない)質問に対して、自分なりの答えを導きだす。

高校生のレベルではまず自分の意見をいってみよう、ということから始まり、大学では簡単に言えば、自分の意見を相手に納得してもらったり、自分の立場を理解してもらう方法を学びます。その時に、自分の説明に関する、根拠が必要になってきて、それが統計であったり、データであったり, 過去の文献だったりするわけです。正解が必ずしもない質問に対して、どうやって答えを導くかということをゼミや論文を書くことで訓練します。

問題提起や目的(目標)がはっきりしている場合、そこにいくまでに何が必要で、どうやってそこに到達するのかという道筋を自分で組み立てていく力、問題解決能力というのが養われるべきなのですが、日本ではそこの教育が足りていない場合が多いのではないでしょうか。
しかし、この部分が、まさに実社会で必要なスキルです。

ここ数年、ヨーロッパや、アメリカのインターンシップ学生を多くみてきたのですが、ヨーロッパの学生は(得に理系の学生は顕著ですが、文系の学生も)問題解決能力が高い学生が多いように思います。それは自主的に、勉強していかないと大学を卒業できないという背景も大きいこと、又企業も即戦力になる人材を求めているからのように思います。(この点、アメリカ人にいわせると、ヨーロッパの大学は面倒見が悪い、ということになりますが)

一方、日本の大学の勉強は役に立たないといわれてしまうには2つの原因があるのかな、と。一つは大学サイドの問題でこの学校のこの学部をでたら何ができるようになるのか、何が始められるようになるのか、どんな可能性があるのか等、ということが明確でない場合。(その点、専門学校は目的が絞られているのでその辺りの消化不良というのは起こりにくい。)

もう一つは学生サイドの問題で、大学(院)で誰かに何か(答え)を教えてもらおう、というスタンスできた場合。この場合、知識は習得するかもしれませんが、それを応用する力を養うことができません。なので、社会にでても、外に答えを求め続けるということになると思います。ところが実社会には正解というのは必ずしもなく、自分の関わりのある利害関係者が(それが顧客かもしれませんし、同僚や上司かもしれませんし、もしくは自分自身が)納得するような回答をだせるか、ということが重要になってきます。

本来大学は自分の頭で考えるという事を訓練する場だと思われます。目的意識をもって大学に入ると、大学での勉強も違った意味をもつことになるのではないでしょうか。
文系の勉強も、あっちの論文、こっちの論文をつなぎあわせて、切り貼りするだけでなく、そこから自分なりの理論(ストーリー)をうちたてることができればクリエイティブなものに十分なり得ると思うのですが。。。

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高校でコンピューターサイエンスの授業を増やす動き

テック、バイオ、製薬関連産業や各種スタートアップが集中するボストン界隈ではプログラマー不足は深刻です。コンピューターサイエンスを若いうちから知ってもらう為に高校からコンピューターサイエンスの基礎授業を増やす取り組みをしている話がありました。(ボストングローブ4月24日)

例えば、HubSpot という会社では、ソフトウエアのエンジニアを紹介し、紹介された人が雇用に至った場合には1万ドルほどのボーナスを支給するほどです。企業によっては大学を卒業したプログラマーの給料は年収1000万円ほどに迫る勢いでもあります。一方、プログラミングのコースを提供している学校は十分にあるわけではありません。又、ただコンピューターサイエンスを教えればいいということでもなく、楽しんで学んでもらう事も重要です。

ところがその分野に興味をもってもらうために若い時から子供達に教育の機会を与えたくても、教える先生も足りないというのが現在の状況です。
そこで昨夏マイクロソフトとグーグルは営利、非営利も含めマサチューセッツでのコンピュータサイエンスの教育を広げる為に、 MassCanと呼ばれる団体を作り公立学校でのコンピューターサイエンスの必修化を促進させようとしていました。が、コスト面で上手くいかず、ナショナルサイエンスセンターと Code.orgから150万ドルのファンドを集め現在、MassCanとそのパートナーたちはマサチューセッツの公立高校でコンピュータサイエンスの基礎講座を教える先生を教育しています。9月までに新学期から、800から1200人の生徒に教えることになる60人の教師を教育する予定です。

もしMassCanが州や財団、個人からもっとファンドを集められれば、十分な数の教師を教育でき5年以内にほとんどの公立高校でコンピューターサイエンスの授業がうけられるようになる予定ですが、どの程度の人材を育成する必要があるかということを考えると、企業側のイニシアティブがより必要になってきます。
例えばマイクロソフトはTEALS (学校におけるテクノロジー教育とリテラシー)というプログラムを運営して15年ほど前から地元の高校にボランティア教師を派遣しており、教える内容は、大学の教養課程で習う程度のコンピューターサイエンスの基礎講座ということです。

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テック関連の分野に関しては、産業が必要な人材を育てる為に、営利、非営利を含め様々な努力しているのが、見えるのですが、人材不足といっている他の分野はどうなのでしょうね。実際の企業の人がきて、自分のやっている勉強が将来どういうふうに職業に展開しうるのか、ということがわかると、いろんな意味で勉強のモチベーションがあがりそうです。
コンピュータに関わる知識や技術がある、ということと人に(得に子供に)物事を上手く教えるということは必ずしも一致しないことから、教育現場の混乱は察しできるような気がします。。。

大学(学士)を3年で終わらせることで経済的な負担を減らす取り組み

アメリカの大学の学費の高さは親にとっても学生にとっても頭の痛い問題ですが、その負担を少しでも軽減させるためにとりくんでいる大学の話がありました。(ボストングローブ4月22日)

マサチューセッツ州の南にあるコネチカット州にある、規模は小さいながらもレベルの高い名門のリベラルアーツ大学であるウェズリアン大学では、年々高騰する学費の経済的負担が減るように3年で学士がとれるコースを提供しています。そもそもウェズリアン大学は学生に3年間で学士をとることを以前から認めていたのですが、ここ2年ほど前から3年のプログラムを積極的に推奨し始めました。
4年間で休みの間にインターンシップをしたりしながら、卒業していくこともできますが、海外での勉強や、夏のコース、追加のプログラム等をこなし、3年で卒業できるのであれば、経済的負担もへるので、このようなプログラムを他の大学でも現実的なオプションとして、もっと推奨すべきである、ということが記事の内容でした。

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実際、大学1年目でとるような一般教養的な科目は高校レベルで勉強できる内容も多く、高校のうちにAPコース(アドバンスト・プレースメントコース)をとれば、大学の単位もいくつかはとれてしまうことから、現実的には少し頑張れば、3年で卒業というのも可能ではあると思いますね。得にこのウェズリアン大学は学生数もそれほど多くない割には教授の数も多く、卒業生からの寄付金も他のリベラルアーツ大学に比べて特段多いというわけでもないので、学費自体が高い、ということが背景にあるようです。

ボストンで学ぶ外国人学生の増加と問題点

外国人が留学にくるというのはその国で学べる何かがあるからで、魅力があるということです。
自分の国とその言葉を理解してくれて、その国のファンになってくれるような人が世界中に増えるのは本来うれしいことなのですが。。。

全米における外国人留学生の数が2012年ー2013年度7%増えているのに対し、マサチューセッツ州での外国人留学生の数は13%増になっているそうで、これが、労働市場に問題をもたらしているという記事が3月7日のボストンビジネスジャーナルにありました。

特にマサチューセッツ州の場合、奨学金なしで、親が全額子供の学費を払えるような外国人、もしくは母国で奨学金をもらってくる学生の受け入れがここ5年ほどで急増しているそうで、国際教育研究所の統計によると、この5年スパンでみるとマサチューセッツ州ではそういったケースが47%も増加しているそうです。(全米では31%増加)

その中で最も多いのは中国からですが、ブラジルやサウジアラビア等色々な国からの人達がいます。
これは学費全額を支払ってもらいたい大学にとっても、アメリカに来て勉強したい留学生にとってもウィンーウィンな状況であるために、大学は留学生を確保するためにわざわざ特定の国々にリクルートをしにいき始めました。
願書やエッセイを本人が本当にかいたかどうかを確認することは難しいので面接にいったり、スカイプをしたりして外国からの学生を評価する精度をあげる努力をしています。

ところがこの傾向は2つの理由からデメリットがあります。というのも海外からの学生の流入が国内の学生の居場所をとってしまったこと、そして外国人の学生は地域経済のために貢献しないことです。実際能力のある外国人が増加しても、卒業後労働ビザがとれなくて会社の方も採用できずに困っているのです。

昔は外国人の学生が入ってくる事はいろんな見方をした学生が混ざることでよいとされていたのに、不況のあと、大学学費を全額払える家庭が減ったので、全額払ってくれる外国人学生が大学からみれば魅力的にみえてきたのです。
大学にしてみれば、優秀でしかも全額支払ってくれる学生がほしい。
一方、20年前は中国からの大学入学申請者は少なかったのに、今ではアメリカに子供を送ることはステータスになっているという背景があります。

例えば、もともと ボストン大学は中流階級の子供達がくる学校だったのに、今では全米でも有数な海外からの学生が多い大学になりましたし、ノースイースタン大学はこの4年間で海外からの学生数は3倍に(2445人)なりました。(2012−2013年度)これには中国からの学生が大きなウエイトを占めます。ボストンカレッジでは10年前は3人の中国人しかいなかったのに、現在は140人いますし、マサチューセッツ州立大学では2012−2013年度は600人以上の中国人学生がいます。

地元の学生の人数の割合が減っていますがそれは、其の分のシェアを外国人が全てとってしまったともいえないようで、それというのも大学生になる子供の数そのものがへっていることも一因にあるようです。学校によっては地元の学生の割合が10年間で20%近く減っている学校もあります。

ビザによって仕事が見つけられないで困るのは学生だけでなく特にテック関連の企業にも問題であり、商工会議所等がスキルのある外国人労働者に対するビザの規制緩和を働きかけています。法律を変えないと、アメリカが教育した外国人がアメリカ経済に貢献しないまま母国に戻り、アメリカと競合している会社で仕事をする事になる、という事を訴えているのです。

しかし、教育産業にいる人の中には、仕事がないから外国から人が大量に押し寄せてくるのを抑制できて、ミドルクラスの学校の財政状態を改善させていると考えている人たちもいます。

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日本の大学がなかなか、海外から質のいい学生をとりいれられないのは、大学間の国際競争が益々激化しているから、ということがよくわかります。
アメリカの場合、高い学費を全額払ってもアメリカの大学に来たい、という人達が多い、一方日本では日本側が奨学金を払ってきてもらう、もしくはそれでも人が集まらない、、、うーん、この状況がすでに問題です。

日本では若者が海外にでなくなったといっていますが、実際、両極化が進んでいるのかなという気もします。外国に移住も含め、長期滞在していたり、海外出張が多い人達とほとんど国内からでない人達の差が広がっているような。。。外国にもでない、外国からの人も受け入れられないというと日本はどういう方向にむかっていってしまうのか、ちょっと心配になります。世界でも、移民の問題も含め、上記のような問題を抱えているのは、二桁の外国人を国に抱えてる国や地域です。私は日本が大好きですし、日本は本当にいい国ですよ!だから日本はもっと自分達を、又その立場を理解してもらうために、そして又世界の人たちの考え方を理解するために、ネット上の交流だけでなく、自分の足を使って、目でみて、耳できいて、会話をして世界と交流し続けることを忘れてはいけないと思うのですが。。。

自分の才能や強みは何かを見極める為の適性テスト

高校2、3年生くらいになると、大抵の人は一度、自分の進路を考える時だと思うのですが、マサチューセッツにある公立高校では10年生(高校生1年)で職業の適性検査のような簡単なテストをします。(全ての高校で行うかは不明です。)その適性テストの質問はどんな科目が好きですか、ではなく、ゴミを拾うのが好きですか、シナリオを書くのが好きですか、人を励ますことが好きですか、といったその人の性向のようなものでしょうか、そういった質問をしてそこからその子がどんな職業に向いているのか、自分の興味のある範囲からどういった職業が考えられるのかといったものを簡単に提示してくれるものだそうです。

高校生位では大抵の場合、自分が興味があることや得意なことが職業にどういかせるかなんてことはそれほどわからないでしょうし、憧れている職業でも実態は全く違うものかもしれない。適性テストといっても今現在の興味の対象や得意の範囲での回答なのでかなり大雑把ではあるようですが・・・その結果はリストになってでてきて、具体的な職業名が出されます。そのリストをみた母親が、”うちの子はERの医者、が一番あっているとでてきたのよ、血なんてみたら倒れてまう子なのに” だったり、”うちは歌手だった、歌なんて習った事もないのに.”  ”うちは弁護士だって” ということになり、まあそれでも10個も職業が提示されると、何かしら、納得できるものも見つけられるようです。

まあこれは半分お楽しみのような、適正テストなのですが、(どうせなら、もうちょっと細かいテストをしてくれるといいのですが。。)こういう年齢の時に行われる適性テストって意外に自分の本質をついているかもしれないな、という気がするのです。それは、このくらいの年齢では、一部のすでに自分の才能を開花させている子達を除けば、まだスキルといえるものがない子供達がほとんどで、自分の持っている素の部分で頑張っている子達が多いからだと考えます。自分が当たり前にできる事が他の人にとって当たり前ではないということにも気ずいていなかったりします。

子供が親のプレッシャーで自分は本当は好きでもない何かを続けていた場合、才能がなくてもスキルは高かったりすることもあるわけで、大学の進路を考えるこの時期、練習によってスキルはついたがそれが本当に自分のしたいことなのか、自分の道を選択し始め、結局親の望む方向にはいかない選択をするということはよくあります。

持って生まれたその人だけがもっている才能のようなものは誰もがあって、努力は才能があって報われるものというのが顕著なのはスポーツや芸術の世界ですが、でも実は思った以上にいろんな職種や職業にもそれがあてはまるのではないかと思うのですよね。趣味で楽しむことが目的で何かをするにはいいのですが、それで将来生計をたてていこうと思うなら、自分のいる分野でベストなプレーヤーになれるほうがいいと思えるのです。

アメリカの大手調査会社ギャラップ社が63カ国、101の企業で働く1700万人以上の従業員に、”最も得意な仕事をする機会に毎日恵まれているか”という、質問をしたところ20%がそうだといい、勤続年数がふえるほど、出世コースを進むほど自分の強みが生かされていると思える人が減るそうです。こうなってしまう理由として “人はほとんど全てのことにおいて能力を発揮することができる” という間違った認識をしていることがあげられています。(『さあ、自分の才能に目覚めよう』より)

実はドイツやスイスにも学校や地域と連携した専門の職業コンサルタントがおり、進路相談というと、具体的に学校での成績、本人の興味、適性テストをして、大学の進路の相談にのったり、職業相談にものってくれます。(15歳から職業訓練に入る子供達も多いですから)もちろん、この相談やテストで出た通りの結果の道をいかなければならないわけではなく、第三者の目を通じた客観的な判断というのはそれだけでも価値のあるものの様な気がします。

そうはいっても、いろんな経験をして、周り道をしながら自分を知っていくというのも、人生の醍醐味だとも言えますが、一方、年を取るほど自分の強みを生かして生活していく人が減るのならば、自分の人生にとっても、社会にとっても損失が大きいのではないでしょうか。
自分が得意だと思い、なおかつ好きで続けていても、壁にぶちあたることがあるのが人生。適性テストの通りに自分の人生を歩まなくてはいけないのではなく、自分には才能がないのかな、と思う時にあきらめてしまうのと、それでもがんばれるかは自分にできるという確固たる自信のようなものがあるかどうかで、時にはそれは適性テストのような客観的にみた第三者の判断も一つのポイントになるかもしれません。

好きで、得意で他人から評価も高くされ、経済的に困らないという仕事につく人で世の中がいっぱいになると、社会全体も幸せになるような気がするんですけど。。。

参考図書:
さあ、自分の才能に目覚めよう

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす
**この本は新品の本にナンバーがついていて、そのナンバーがないとテストができません。自分の才能を調べるテストをしたい場合は新品の本をご購入ください。