国際会議でのプレゼンの注意点—NAFSA 2015 より

国際教育交流分野での最大のコンベンションNAFSA2015が今年はボストンで開かれました。
世界中の大学の国際連携に 関係している人たちが1万人近く集ります。

1週間にわたるこのコンベンションでは今回は今まででも一番大きな日本ブースができたようですね。現在、ボストン美術館で行われている北斎展、又ケネディ駐日大使も日本からいらしたことも日本の大学にとって追い風になっていたかもしれません。

日本の各大学が、学生が外国に行けるような仕組みを充実させるために、また、外国からの留学生を受け入れる為, 世界のほかの大学と相互の連携や研究分野での連携が進む為に世界中の多くの大学の代表者が集まるこの会議は非常に有意義なものだと思います。

さて今回、1週間にわたり様々なテーマを中心に話し合われたり、プレゼンが行われたりしました。
このような国際会議を運営する団体は、そして参加者はどういう点を評価するのでしょうか。

主催者側としては、行われるセッションがどれだけ注目を得るものか、参加者にとって有益であるものかということを考え、セッションをオーガナイズしていくものですが、その時の評価基準としては、
・ セッションへの参加人数
具体的には始めの10分、30分後、最後の10分前の参加人数動向はどうだったか
・ 内容とその質
参加者がセッションから学ぶことがどれだけあったか。
発表内容がそこにいたいと思わせるものだったか。

そのあたりの結果を次の会議でプログラムを組むときに反映させていくようですが、とくに国際会議のようなところでNGなのは、
・スライドが新聞記事のように文章がひたすら書いていあるものだけのもの(更に、英語圏で発表するものなのに、スペルミスがあるというのは結構致命的!とのコメントが。。。)
・スライドをひたすら読んでいる。

こういう発表をきいてしまうと、これは一気にモチベーションがさがりますね。大学の授業もこう行われているんだなあと、察しができてしまいます。。。

そして発表をきいていると、英語ができることとプレゼンが上手いこととは必ずしも関係がないこともわかります。

個人的にもいろいろな機会で普段からスライドをみたりやプレゼンを聞くことが多いのですが、今回のセッションでも改めて、日本人のプレゼンの傾向は中身の情報が多すぎてそれをスライドにした時に、盛りだくさんになりすぎ、ということはあるように思います。

すると棒読み状態になりやすく、話にメリハリがなく、そうでなくても抑揚をつけて英語を話すのは日本語が母国語の人にとっては難しいと思うので、全く話もつまらないものになってしまいます。いくら中身がちゃんとしていても、見せ方がうまくないために、惹きつけ力が低いという傾向が強いのではないでしょうかね。

たくさんの情報をいかにシンプルにみせ、伝えるかということがスライド作り、そしてプレゼンには重要なポイントではないでしょうか。

NAFSA2015日本ブース

NAFSA2015日本ブース

大学間の資金の格差がますます鮮明に。

ムーディーズが資金豊富な私立大学トップ20と公立大学20校を調べたところ、リッチな大学のトップ10が全米の大学の保有する資金合計の3分の1を占めているということを発表しました。 
私立で一番はやはりハーバード大学で428億ドル、その後にスタンフォード、イエール、プリンストンと続きます。公立ではテキサス大学の367億ドル、カリフォルニア大学とミシガン大学の順になっています。

リーマンショックで大学も痛手を負いましたがその後の、トップ大学ではリカバリーがよく逆に学校間の差がさらに大きくなったといいます。リッチな大学はさらにリッチになり、これからますます資金の集まらない学校は存続するのは厳しくなるのではないかといいます。この40の大学のうち60%は昨年寄付金をうけていますが、エリート大学は卒業生たちが裕福である場合が多いということや彼らが寄付先を探しているということもがあり、資金提供単位も大きく、億単位で募金が集まります。そのような人たちが募金をする場合は、誰にでも、どこにでも募金するということではなく”投資” する感覚に近いようです。一度の気まぐれな寄付というより、関係性を重視した寄付、寄付することにどんな意味があるのか、ということを考えて寄付することで、結果提供されたほうもさらに富む、という循環になるようです。

大抵の私立校では収入の75%は授業費等の学生からの資金でまかなっているのに対し、トップ20校は15%しか学生からの支払いに頼っていないという現実があります。
寄付金が多額にはいる場合は収入の低い学生たちに奨学金をだすことができ、そうすることで学生も偏った層からだけではなく多方面の人材を集めることができます。また資金を運営するためのファンドマネージャーに対しても、しっかり支払うことができるので、資金はますます増えるということになるようです。

公立の大学も今後ますます公的な予算が削られる方向にあるので、公的予算に頼ることなく私的なファンドからの資金提供及び、ファンドレージングが望まれています。

価値を作ることができなければ、淘汰されてしまうというのは教育といえども、産業と化して自由競争原理が働いているアメリカの大学の中では十分ありうる話です。

これだけ大学間に差ができてしまうのは、みんなが1つの成功パターンをもとめ大学を目指していることが一つの理由のような気がします、もし成功パターンの選択肢がいくつもあれば、みんながそこを目指さなくても、自分にあった学問の世界なり、研究の世界なり、職業の世界なりが描けるように思うのですが。

高等教育は誰のもの?

アメリカの高等教育費用が高騰しており、学生の負債額が増えているということを重くみて作られたドキュメンタリー映画 “Ivory Tower”が今週末からボストンでも始まりました 。テーマは、”学費に見合った価値が大学にあるのか”。  

1978年からみれば学費は1120%上昇!一方同期間に公立の大学への補助金は40%も減っているそう。
それでも大学に行く価値はあるか、と問われると、“イエス”と答える家族がほとんどですが、2010年には卒業時の借金の平均が25,250ドルだったのに2014年の卒業生の70%以上の人が平均して33,000ドルの借金をかかえているそうです。教育が国を担う人を育てるものという視点が強い、ヨーロッパの大学は国公立大学がメインで費用も無料から払ってもせいぜい年額十数万円といったところでしょう。(イギリスの大学はここ数年でかなり高くなったようですが)高等教育機関が公共の利益でなく、個々の利益を追求すれば、今の状態だと益々外国からくる学生に頼らざるおえなくなるでしょう。

夫より妻のほうが高い教育を受けている夫婦が多い、というデータ

アメリカにおいて、今までは妻よりも夫のほうが高い教育をうけている夫婦のほうが多いというのが普通だったのですがPew Research Center(ワシントンD.Cにある米世論調査機関)によると、この50年で妻の教育レベルのほうがよくなっている夫婦が増えたという発表がありました。(2月12日 ピューリサーチセンターFactankより)

2012年の調査によると結婚している女性の中で、20.7%の人が自分より高い教育を受けていない配偶者と一緒になったといっています。
夫の方がよりよい教育をうけている夫婦の割合が1990年までは順調のびていたのに、1990年の22.4%をピークに2012年には19.9%にまで減少しています。

その理由の一部としては若い女性が過去20年において、高等教育を受ける率において男性を凌いだので、最近の新婚カップルの間では妻のほうが高学歴だという傾向は普通なようです。2012年に、新婚の女性の27%は、自分より教育水準が低い配偶者と結婚しましたが、男性側では15%だけが、自分より教育レベルの低い配偶者と一緒になっています。
又、夫婦のどちらかが大学もしくは院を卒業した新婚夫婦の中で39%の女性が大学の学位を持っていない男性と結婚しましたが、26%の男性が学位をもたない女性と結婚しています。

もう一つのトレンドは似たような教育レベルでの婚姻が変化しているということ。大卒の学位をもった人達が増え、互いに結婚する傾向にありますが、同等な教育レベルをうけた夫婦は1960年には80%だったのに対し、2012年には60%になっています。

同レベルの教育をうけた夫婦が減っている主な理由は、高卒や高卒以下同士の婚姻が今は少ない、(1960年では74%だったのに、2012年では24%)そして、高卒や高卒以下の教育しか受けていない人は結婚しにくいということがあるようです。そういう人達の婚姻率が1960年には72%だったのに、2012年には46%に減っています。

一方、大卒同士の夫婦の割合が2012年には22%にまでのびています。

自分より教育レベルの低い人と結婚することが経済的に ”格下げ” になるのでしょうか?そうとも言えず、実際には大抵の場合 “格上げ” されるようです。実際、夫よりも稼いでいるのは39%で、58%の夫が妻よりも稼いでいるのだということです。

夫と妻、どちらの学歴が上?

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夫婦の学歴

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