日本人が英語ができない理由

ボストンにいると、留学生やアメリカ在住の日本人の方たちも多い為、英語がすごく上手な方々に会う事が多いです。特にアメリカではメールの返事といったことはスピード勝負なので、とりあえず、なんらかの反応をするというときには英語がささっとかけないと困ります。話す力もさることながらメールの場合、確実に残ってしまうので、私も冷や汗をかくことが多いです。
そんな中最近英語が上手い日本人が本当に多いなあ、なんて思っていたのですが。。。

久しぶりにあった、日本在住の外国人が日本人の英語のできなさに辟易している発言をしていました。彼によると、”国際〜” という名のつく部門の人たちとでも話しがうまく回らないことや、学校の英語の先生と全く会話が成り立たないで特に驚いていました。

私もアメリカ人になぜ、日本人は英語ができないの?と聞かれることが多いのですが、(じゃああなたは英語以外に何語ができるの?と言い返したくなりますけどね。。)アメリカの学校(K12までのレベルでは)でも外国語のクラスの先生が必ずしも、ネイティブというわけでもなく、5年くらい習ったけど、使えるレベルにはならないという発言もよく聞きます。そして、時々帰国子女や、その言語がネイティブ並の子がきて、先生よりも上手で、かえってクラスを引っ掻き回してしまうというトラブルも。。。
実際、自分が学生の頃、クラスにいたアメリカ帰りの子がよく英語の先生ともめていましたね。

知り合いの英語の先生は、日本の英語の教師は正しい文法を教えればいい、テストの点数がとれる英語を教えればいい、そして親御さんもそれを望んでいるので話したり聞いたりできる必要もないし、コミュニケーション能力がある必要もないといいます。toeflができる以上に英検をもっていることの影響力が高いという発言を聞くと、日本人の使える英語力がアップしないのもわかる気が。。。

そして、やっと最近国をあげて日本人の英語力アップに力を入れ始めたようですが、しかし、実は、今起こっているのは、できる人とできない人の格差の広がりだと思います。できる人たちは本当にできますよね、日本にいる人たちでも留学していた、帰国子女という人たちはたくさんいますが、一方、できない人たちもそれ以上にたくさんいるというわけで。全ての人たちの英語の能力がネイティブレベルになる必要はなくても、少なくとも6年間英語を習っていたらそれなりのレベルの英語ができないと残念です。

それにはやはり高校までの英語教師のレベルを上げることがとても重要だと思います。
アメリカでJETプログラムで日本にきて日本の学校で英語の教師をしていた、というアメリカ人に多く会います。JETプログラムは「語学指導等を行う外国青年招致事業」で30年近い歴史がありますが、日本人に英語を教える以上に、外国人に日本を知ってもらうという大きな意義もあるようです。これがきっかけで日本が身近になった、日本文化がわかったという発言をききます。彼らに英語教師のトレー二ングのようなものを依頼してもいいかもしれませんよね。。。とにかく、先生の役割は重要です。

スマホの浸透により、金魚より集中力がかける人達が続出中。

インスタグラムにスナップチャットと10代の子供達は常に誰かにつながっている状態になっていますが、ピューリサーチセンターの調べではアメリカの13〜17歳までの88%がモバイルデバイスへのアクセスがあり、73%がスマホをもっているといいます。学校の中では使用禁止とか、通じなくなっているところもありますが、現状では親との連絡や課外活動のために規制をゆるめているところもあります。
ロンドン・スクールオブエコノミクスの調査によると、学校で携帯を禁止しているところのほうが子供達の成績がいいとの結果があります。
これは携帯がやはり集中力をそぐからといえそうです。
デイリーテレグラフの6月16日の記事には実際モバイル機器の使用が浸透することで人の集中力が明らかに悪くなっているとのリポートがあります。

カナダで参加者2000人を対象に脳波を調べた調査によると、2000年には人の注意力が持続する時間(集中力の持続する時間)は平均12秒だったのに、携帯機器が社会に浸透するにつれその時間が8秒になってしまったということ。金魚でさえ9秒集中していられるという恐ろしい結果がでました。(ちなみに金魚って12日前にあった出来事を覚えているそうです)
っていうか8秒って、短くないですか?? 

一方、マイクロソフトによって行われた調査によると人のマルチタスク能力は改善しているとのことで、一つのことには集中しないかわりに同時にいろんなことができる能力が改善されれてるといいます。

要するに、テレビを見ながら膝の上にはタブレットがあって、同時に電話をしているみたいな?だけどどれにも集中していないっていうことでしょうか。それとも、それぞれの機器を扱っている際に8秒ずつ集中しているとか。子供だけでなく大人でも常に携帯でメッセージをうちながらほかの人と話している人もいますものね。

IT教育が必要なのは確かなのですが、こういった機器の使い方を含めたリテラシーも教育してほしいものです。

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大学間の資金の格差がますます鮮明にーその2−

アメリカの大学間の資金格差は確実に広がっています。

ハーバード大学は世界一リッチな大学であることで有名ですが、先週400億円以上の金額が、ハーバード大学エンジニアリングと応用科学学部に寄付されました。
リッチな大学がさらにリッチになる、ということでこのような高額な寄付はもっと他の目的に使われるべきという非難の声もでています。この金額は全米の大学の寄付金のうちの98%を超えるということで、いかに高額がということがわかります。(ボストングローブ6月9日)

日本の大学のグローバル化対策のために文部科学省は「スーパーグローバル大学」に、国公私立大37校を選び2023年度までの10年間に1大学当たり最高約4億2千万円の補助金を毎年支給することになりました。

先日のNAFSA2015で日本の規模の小さな私立大学に勤めているアメリカ人の教授が、教育の公平性を求め、小さい規模の大学にも支援が欲しいという要望をだしていました。強いところをさらに強くする政策をしてどうするんだ、とアメリカ人が言っているのをきいてなんだか妙な感じがしましたね。。。。
もっとも日本の場合は、アメリカのように市場原理が働いてそうなっているというより、国策としてあえて格差を作ろうということですが。

現実的に考えてみると、日本の少子化、と大学数を考えれば、学生が集まらない学校というのは確実にでてくるでしょうし、それと同時に、いい学校にもっと人が集中してくるということになるでしょう。

特に私立の場合、強い特色がなければ確実に存続できなくなってくると思われます。
しかし、学費が安ければ、人が集まるのかといえば、そうともいえず、例えばこんな例があります。

スイスの大学は基本国立大学であり、授業料は大学間で多少の違いがありますがだいたい年間10万〜15万円程度、ところが私立の大学も少数あり、その場合、アメリカの大学と同じくらいの金額のところもあります。
同じ国の中で、(しかも小国)これだけ金額の差があっても、人が集まるんですね。高校でも同じことがいえます。ヨーロッパの公立高校は基本無料ですが、ボーディングスクールにいくとなると、年間アメリカの大学にいく以上の費用(場合によっては1000万近く)がかかります。それでも人は集まってきます。
要するに、私立であれば、ターゲット、教育指針が明確でなければならず差別化できれば、十分生き残っていけるともいえます。

ハーバードの場合は、資金が集中することでボストンエリアでの雇用にも大きく貢献しており、多くの学生が授業料の免除をうけられ、研究にも多大な費用を使い、結果をだすことができるという好循環になっています。

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アメリカの一流大学に入りたかったらアジア人でいることが不利になる?

日本で国内のトップの大学に入りたければ、小学校の低学年からox塾にいき、中高一貫の進学率のいいところにはいって、塾は△塾。。。といったある種のルートがありますが、同じようにアメリカのトップ大学に絶対子供を行かせたい親、また学生のために、大学の願書を出す数年前から、志望校をみすえ、SAT、GPAといったスコアだけでなく、高校ではどんな科目を履修して、課外活動はどんなスポーツ、音楽、ボランティアは何をする、というように完璧な履歴書を作るためにトータルに、プログラムを組むカウンセラーがいます。

アジア系アメリカ人がハーバードを訴えた話がありましたがここ最近は、アジア人の中での競争が激化しており、SATでフルスコア、GPAもかなりのハイスコアでもアイビーリーグに入れないというアジア系が増えているという背景があります。点数の高いアジア人は受け入れられずそれよりずっと点数が低いマイノリティーが受け入れられるのは違法だと訴えている話ですが、これは差別の話なのかダーバーシティの話なのか、ということですよね。。。6月1日のボストングローブ紙には、全米のアジア人比率は5%なのに2018年卒業予定のアジア人比率はハーバード生では20%、プリンストン大学では21%だとの統計があります。30年前にはSATでハイスコアをだしていれば、アジア人でいることがマイノリティーだったために、逆にいい大学に入りやすかったものの、今はアジア人でいることがかえってハンデになっており、同じようなテストの点数で、同じように音楽をやっている例えば中国人とインド人で中国人は入れなかったけど、インド人ははいれた、(もしくはその逆)ということも実際多々耳にします。

それだけ、アジア人は必死に勉強していいスコアを取るということだともいえますが、前述のカウンセラーもアジア系だということをなるべくださないような、エッセーを書けとか、アジア系は団体スポーツにあまり取り組まないので、サッカーやバスケットボールといった団体競技をやるようにとかそういった指導もしているようです。
アジア人は団体のスポーツより、個人競技やラケットを使う競技を多くしているといいます。(確かに、中国人って基本的に個人競技である卓球、バトミントン、体操って上手ですよね、、)しかし、実際社会にでた時はチームプレーを求められることが多く、そういう意味でも他人と協調できるとか、チームで何かを成し遂げるといったことは多くの場面で望まれます。

先日、たまたまボストンの中堅どころの規模の小さい大学に通う中国人の大学生と話した時、大学には学生を確保するために一流大学以上の比率でアジア人(特に中国人)がおり、授業によっては、先生がかなり英語のレベルをおとさないと学生がついてくることができず、アメリカ人学生の不満もつのる、そして卒業してここで仕事がしたいと思っても、今度は仕事を見つける際にまたアジア人同士の競争にさらされる、ということになっていると言っていました。一方、大学も資金確保のためにかなり積極的にアジアにリクルートしにいっており、しばらくはアジア人が増えることがあっても減ることはないようです。

逆にいえば、アメリカにとって中国はますます重要な国になっていくともいえそうですが。

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留学生動向からわかる、インドと中国の経済状況

大学改革、グローバル化の意味とは?外国人を受け入れて英語でする授業を増やせばそれで済む?—NAFSA 2015 より

今回のNAFSA2015では日本の大学がグローバル化に向けて改革を進める中、文部科学省からもプレゼンがあるなど、国をあげてどのようなアプローチで改革を進めていくのかということも発表され世界市場を意識したものだと思われました。

今回、文部科学省の代表者、また文部科学省が選出した日本のスーパーグローバル大学の先生方が発表をしていましたがその中で、印象に残った話を一つ。
立命館アジア太平洋大学の教授でもある、近藤先生による発表で、日本の大学は変化が必要、しかし何を変えるのか、というテーマで話をされました。

簡単にいえば、英語で行われる授業を増やし、9月生の受け入れなど、制度を変化させても、現状世界で起きていることを理解し、明確なビジョンを掲げ、リーダーシップをもって教授陣、そして大学で働くスタッフ達を教育し変化に対応させていかなければ、表面だけの変化では意味がないという話でした。

大学の国際間での競争が厳しくなってくると、英語ができればなんとかなる、英語の授業を増やせばなんとかなる、という考え方では根本的な問題は解決しないということで、教育の本質を見失うと、授業料をただにしても、学生が来なくなるということになりかねません。大学自体がどのような人材を育成したいのか、ということが明確でない場合、当然意義のあるプログラムも組めませんし、魅力のないところには人は集まらず、資金もつきるということになります。

本来教育って理想を掲げるものだったのではないのでしょうかね?ランキングの数字や、就職率の数字は結果としてあとからついてくるもので、変化といっても、ある意味、時代に合わせた教育の本質を改めて問うという、原点回帰なのかなという気がしました。

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