理系の女性の管理職が少ない理由

ボストンにおいても、STEM(サイエンス、テクノロジー、エンジニアリング、数学の頭文字をとったもの)分野での企業における、マネージメントについている女性が少ないとの報告が11月3日のボストングローブ紙でとりあげられていました。

記事ではこれが大学レベルでは沢山の女性がいてもマネージメントになると、女性が減ってしまう、ということはどこに原因があるのか、を探っていました。

まず、高校のレベルでは男女ほぼ、同じ比率で数学やサイエンスをとっているのですが、これが大学になるとSTEM分野を専攻している女性は全体の三分の1に減ってしまいます。職場レベルになると、ハードウエア開発や電気工学のエンジニア、システム開発の分野では25%以下が女性になります。
とにかく、女性のロールモデルが少ないのです。また、多くのエンジニアリング会社には女性がいません。

女性がマネージメントにつかない理由として、まず、自信がない、ということと、男性は自分から積極的に売り込みにいきますが、女性はだれかがはい、どうぞ、やってみてね、といわれるまで待っているタイプが多いそうです。意識改革が必要だという分析です。

一方日本、平成23年度にだされた山形大学による、”理工系大学・学部における女性学生比率と大学の構造”という報告によると、大学では理系の女性は10〜20%、ただし、女子大では30%を超えているところもあるとのこと。理系の中でも、女性の比率が多いのは”生”がつく学部だそうです。
例えば、生物、生命科学、生活〜。10%切る学部は”工”がつくもの。そうそう、電気工学を先攻した友達は、クラスに女子は一人だったといっていました。ある意味、パラダイスな感じもしますが(笑)
”生“ がつくものに女性がひかれるというのは、すごく自然な事だと思います。女性は生んで、育てる生き物ですから。

面白いのは、今時、専攻を特に選ばず、そこそこの大学でいいのなら、現役で大学にいくことはそんなに大変ではないであろうと、想定されるのですが、理工にいく女子は浪人をしてもいく、という傾向にあるそうです。男子の場合、就職がいいからとか、何となくという理由で理工にいく学生が多いのに対し、女子は明確な目的があって、勉強する。ということは想像するに、理系女子というのは相当、やる気があって、モティベーションが高いのではないかと考えられます。

2013年の9月に発表されている経団連の女性の活躍支援・推進に関する 企業の取り組み事例集という報告の中で、大手企業が女性の管理職を増やす為に実際にどんな取り組みをしているかをまとめているのですが、そこでわかるのはそもそも、理系ということ以前に、全体の中での女性の管理職が圧倒的に少ない中で、(会社自体に女性が多い職場の場合は別として)まず、出産後の復帰してもらうための環境を整えたりして、離職率を減らす、ということを努力したり、分野を問わず女性の管理職そのものをあげる為に努力している段階だということです。

ここで思うのが、個人の能力以上に、女性と男性というのはそもそも、身体的機能や社会的に期待されている役割も違うのに、今の ”会社” という男性が作った仕組みの中で、女性がそれなりの地位を築いていくのには、男性以上の実力と、周りのサポートがかかせないのは当然と言えば、当然という気がします。ただ、必ずしも、全ての企業で女性の比率をあげればいいということではなくて、男性が力を発揮しやすい分野、女性のほうが向いている分野があって当然だと思うのですが。。。実際、女性が経営者の会社の場合のほうが、女性が働きやすい環境は整いやすいと思います。簡単にいってしまえば、女性の起業率が増えれば、女性の管理職の数も、自然に増えていくのかな、と想像します。

大学での成績は何を意味するものなのか?-続編-

先日書いた、大学での成績は何を意味するものなのか? という記事で、ハーバード大学の成績にAを出しすぎる、ということが問題提起されていましたが、更にその話が広がって、昨日は新聞の1面 に取り上げられるまでになっていました。

問題提起として、ハーバード大学の学部生の成績で一番だされるのはAである、ということでそれに対して、いい成績を出しすぎるのはよくない、という話です。問題点としては
• そんなに沢山Aが出されては、本当にできる人の価値が下がってしまう
• 何にでも高い評価をだしてしまうと、学生が自分ができること、できないこと、を間違って認識してしまう

一方、肯定的な見方をする人の理由付けは
• 成績というのは自分の勉強に対する動機付けであり、外部に対する信用証明のようなものであるべきではなく、いい成績をとることでやる気がでる。
• 大学院に進学したい人のGPAが低くなり、大学院進学率が下がったり、いい成績がとりにくくなると、学校にそもそも人が集まりにくくなるかもしれない。

2009年の全米調査で41%がAマイナス、もしくはそれ以上の成績を、もらっている、ということがわかっていますが、実は1969年に調査をした時はたった7%だったそうです。

実際、プリンストン大学は2004年から成績の付け方のガイドラインをかえて、Aは35%以上はださないということにしました。
一方、イエール大学は62%がAをもらい、ボストン大学はAをとるのが非常に難しい、ということです。

どうやら、成績のつけ方を変えていく議論がハーバードでも、必要らしい、という話でした。

大学の成績にこだわるのは、プロフェショナルな教育を受けられるのは実際、大学院からだという現実があり、キャリアを積みたければ、大学院にいかないと、という考えが流れとして、あるからだと思われます。
2010年のOECDのデータによると、アメリカの大学進学率は74%(ちなみに日本は51%)とかなり高い率になっています。

問題は、本来全ての人が勉強が得意で、大学4年、大学院2年と勉強しなければ、スキルがつかないような高度な事を望んでいるのか、もしくはそれが自分のしたい仕事であり、そういう仕事が市場に十分あるのか、ということなのではないでしょうか。

もし、自分の得意、不得意が明確で、興味のあることもはっきりしていて、それが大学に行かなくても専門学校だったり、実際に実習することで身に付くスキルだったりする場合、そういったことができる学校にいったほうが、いいと思うのですが。
成績という他人による客観的な評価も考慮して、自分の適性や、能力の限界というのを早く見極めたほうが、なんだかのちのち幸せな気がします。

ここでよくきくのが、とりあえず大学に入ってから、どうしたいか決めればいい、という発言ですが、なんだかわからないけど、とりあえず、将来の為にいいところにはいっておく、というには大学のコストが高すぎる(特にアメリカの場合)ように思いますが、どうやら、学士のレベルだと、準義務教育になりつつありますね。

がんばれることも一つの才能で、成績がよくて、とりあえず医学部に行っておこうと思って、医者になったものの、やっぱり向いていないと、いってやめてしまった人達を何人もみていると、なんだか、もったいなあ、と思う一方、その人たちが自分のしたいことが見つかった場合には、本当によかったね、って思います。

これから日本の社会が大学に育成してほしい、人材とは?

ノースイースタン大学が、2億2千500万ドルかけて新しく科学、エンジニアリング研究所の建設を来月着工する、という話がボストングローブ紙 12月5日にのっていました。

新聞によると、
ボストン界隈は各大学がしのぎを削って、投資をしています。

・ボストン大学
2つのサイエンスとエンジニアリングのビルが10年以内に完成予定。

・MIT
ナノマテリアル研究所と科学、エンジニアリングスクールの研究施設が2018年に開設予定

・ハーバード大学
巨大なサイエンスコンプレックスを建設中で、エンジニアリングスクールがこちらに移動予定

・マサチューセッツ州立大学 アムハースト校
サイエンスコンプレックス、半分はすでにオープン済みだか残りの半分は2016年開設予定

・ウェントワース技術大学とウェルズリー大学は小さめのサイエンスラーニングとリサーチスペースを確保

米国ではサイエンスとエンジニアリングの分野で学士号をとる人がこの5年の間に、19%も増えており、他の分野では9%の伸びにとどまっているということです。
これはこの分野の就職率が他の分野よりもずっといいからです。
ノースイースタン大学の施設では主にヘルス、セキュリティ、持続可能性に関する研究が行われる予定だそうです。
学長によると、”社会がその分野に集中することを望んでいる” ということです。

さて、一方、日本の大学情報を提供している、ナレッジステーションというサイトによると、日本の大学で2014年度に開設される、学部は36校あります。
そのうち9校は看護関連、7校は教育関連、2校は理工関連の学部を開設予定。
又34校で新設される学科がありますが、そのうち看護学科は2校、理工学科は1校、情報通信学科は1校にとどまります。
総計、11校で看護関連の学部、学科が創設されるわけです。

就職を考えて学生に人気なのは、薬学、医療系、理工学部といわれていますが、大学経営が難しい中、それでも新設するということは、社会の需要が確実にあるのだということを想定すると、
日本の社会が望んでいるのは、看護関連の人材の育成、
ということになりますね。

上記のボストン周辺にある、大学で、規模が拡大するということは、必ずしも新学部を創設ということではないかもしれませんが、学科やコースが増えることは、十分想定できます。

日本の高齢社会化、を確実に感じます。

大学での成績は何を意味するものなのか?

ハーバード大学に50年以上も勤める教授が、成績にAを出しすぎるのは問題だ、という発言をしている、記事がありました。

アメリカの成績評価は A、 B、 C、 D、とありFは落第と考えて、更に、それぞれにプラスとマイナスがあります。(大学によってはないところもあるようです)

A: 90点~100点
B: 80点~90点
C: 70点~80点
D: 60点~70点
F: 落第     

この記事によると、(ボストングローブ 12月4日) 
ハーバードの学部生の成績で、普通の教授が一番多くつける成績が、Aだというのです。そして、これを問題視している教授は、悪くしても、Aマイナスが一番出されている成績かと思ったのに、そんなにAをだすなんて、とんでもない、といっています。この問題は、ハーバードに限ったことではなく、本当に優秀な学生が認められにくくなっていると、警告しています。

この教授の場合、最近では学生に2種類の成績をだすそうです。一つは成績証明書に書いてある成績、もう一つは教授が思う本当の成績。

自分がみている学生だけが、正当に評価されることで、罰をうけるようになることがいやだったが、大学側が方針を変えるべきだと思っています。

一方、学生達の反応は
”Aをとることは、どんな教科だって難しい。” 
”ハーバードに入ってくる学生は高校生の時に十分、いい成績をとってきており、それを大学でも、とり続けたいと思っている”
”確かに、いい成績を出しすぎてる”
という意見もありました。

だいたいそういった内容が記事に書いてあるわけですが、一番つけられている成績が “A”、って確かにすごい、と思います。だって、ハーバードですよ、っていうか、特に学部生は大学院生よりもずっと少なくて、入ってくる生徒達は、高校時代”A”しかとったことがないような子達で、その中での競争です。

そもそも学生はなぜ、いい成績をとりたいのでしょうか?

•プライド 
これは、前述の学生もいっていましたが、高校の時からいい成績をとることが普通になって、そういうものだと思っている場合。

•進学   
これは、将来的に大学院の進学を目指している場合が考えられます

•就職   
いい成績なら堂々と履歴書にGPAを書ける

•情熱   
その教科が好きで、勉強したくてしている場合

ざっと、こんな感じでしょうか。
詰め込みでもなんでも、いい成績をとると決めて、それを極めることができる人というのは、そこから創造性を発揮し、色んな方向に進む事は可能なのだと思います。問題は、なんとかいい大学に入ったものの、世の中には自分よりもっとできる人たちが沢山いるのに気ずき、思ったような成績もとれず、自分を見失ってしまう、メンタルの弱い学生かもしれません。

大学の成績は、論文だけでなく、出席率、授業への参加率や貢献度、またグループワークをした時のメンバーからの評価等、教授によってそれぞれの要素やその評価割合も違うので、自分がいい成績をとりやすい科目と、とりにくい科目は出てくるかと思いますが、それにしても、大学でいい成績をとるには、やはりあるものを継ぎ合わせるだけでなく、そこから発展した、新しいもの(考え)を生み出す必要があります。まさに昨日の記事、OECDの学習到達度調査 PISA 2012からわかること 、に書いたように、創造性を発揮できるような下地を高校生のうちに作っておくというのが、大学でいい成績をとるためにも役立ってくるのかな、と考えます。

OECDの学習到達度調査 PISA 2012からわかること

OECDが実施した、学習到達度調査(いわゆるPISA  )2012年度の調査結果が12月3日のボストングローブにのっていました。世界の主要都市や国で、15歳を対象に行われた、数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーに関するテストの結果です。

記事にはマサチューセッツ州の健闘、について書いてあるのですが、”日本”の文字を探してもみつからない。。。グラフにも記事にも、、そんな、ばかな、とOECDのHPに入り、ランキングを見てみると気ずいたことがあります。

上位のランキングが上海、シンガポール、香港、台北、韓国、マカオ、日本、リヒテンシュタイン、スイス、オランダと続くのですが、この中で国なのは、シンガポール、韓国、日本、リヒテンシュタイン、スイス、オランダになります。残りは中国語圏の国、都市になります。

この調査は国単位というより、地域や都市単位、でも調査しているので、そこに少し違う切り口、すなわち、人口と面積を加えてみました。

PISA2012国別データ

PISA2012国別データ

すると、少し違うものが見えてきます。

上位にランキングしている、国、または都市は圧倒的に小さいのです。特にシンガポール、上海、香港、台北、マカオ、リヒテンシュタインは面積が小さい。それに対して、日本は圧倒的に面積が広いし、人口も多い。

ではこれなら、もし東京という区切りをした場合、どれくらい違いがあるのか。多少の違いはあるかもしれませんが、それでも中国のような違いはないはずです。もし、中国という一つの国で考えた時、ランキングは全く違うものになるはずで、それが、アメリカも同様なわけであり、よってマサチューセッツ州としては、アメリカの中で競争するより、世界の他の都市、国と競争をあえてしているわけです。

上位のランキングの場所ほど、面積が狭く人口が少ない。これは経済圏が小さいほど、その中での経済的格差も少なく教育格差も少ないからでしょう。てっとり早く、学力ランキングをあげたければ、教育特区を作り、そこだけ集中して、いい教育をすればいいわけです。

そういう風に見てみると、日本の特異性というのが際立ちます。日本の場合はこの人口数と面積で、ランキングが上位ということは、少なくとも15歳の時点では日本人全体の教育レベルが高く、日本の基礎教育はちゃんと機能していると言えるのではないでしょうか。

一つの問題は、OECDも指摘していますが、2003年度より、日本でも社会経済的水準の高い学校と低い学校間の得点差が拡大しているそうです。日本がこの先、他の国のように、ほんの一握りの人々が、国の経済をひっぱっていくという状態になるのを受け入れるのか、それとも、みんな一緒に、レベルアップしていくという方向を貫いていくのか、もしくは、みんなで沈んでいくのか。

実はその鍵を握っているのは、高校〜大学の教育なのか、と思います。

そこで、ハーバードビジネススクールのドイツ人教授が話していたことを思い出しました。アジア人は必死に勉強していい大学や大学院には入ってくるが、でもそこから伸びて行かない人が多いそうです。教授が言う、のびていかないとは、創造性がない、ということです。それは学生が自主性によって学んできたわけではなく、詰め込み教育で学んだせいだ、と、彼は見ています。日本はこの10年以上、その詰め込み教育を方向転換するべく、色々方策を練った事と思いますが、結局、小、中学校レベルの方針は今やっていることでよく、そのレベルを改良しつつ、高校、大学のレベルをなんとかするべきなのではないでしょうか。

大学の変革、という話や、小、中学校の改革の話はよく聞くのですが、高校はいったいどうなっているのでしょう?

あまり話を聞かないような気がするのですが、高校教育が鍵になるかもしれません。

大学に行くまでに、高校がするべきこと、は自分で考えさせる教育の始まり。小、中は知識を蓄え、高校では知識も増やしながらも、今までにためたものをつなぎ合わせて、創造性を発揮し始める時期だと、思うのですが。だから、アメリカや一部のヨーロッパの高校では、答えがみんな違うような、又正解がないようなテーマを出して、ひたすら討論させたり、論文を書かせたりするのだと思います。それが残念ながら高校で、必死に大学に受かるだけの為の受験勉強をして、いい大学に入り、それが一つの成功経験になってしまうと、そのやり方でやっていけばいい、と思ってしまい、結局、ハーバードの教授のいうように、何かを創造することがわからない、もしくはできない、ということにつながるのかもしれません。それを国単位としてみると、創造することができないとイノベーションを起こせず経済が発達しない、というわけですね。

今回のPISAの結果、色んなことを考えさせてくれました。